俳句は、五七五の三句十七音からなる世界最短の定型詩と言われている。もともと日本語における詩的表現として、万葉のころから、五七五七七という四拍子のリズムを伴った表現が広く用いられてきた。例えば、次のような和歌・短歌は、その謳われている内容とともに、そのリズム感のよさに引き込まれる。
・ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(紀友則)
・見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮(藤原定家)
・やわらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに(石川啄木)
・東海の小島の磯の白砂にわれ泣なきぬれて蟹とたはむる(石川啄木)
・戯れに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩歩まず(石川啄木)
このような日本語ならではの五七調は、心の奥深くの心情表現として、日本社会の底流において脈々と受け継がれてきたように感ずる。それは敵対する者同志であっても、その心情を理解しあい、もののあわれの心情を共有し、最終的には許し合える関係を作り出すという社会風土を形成する基盤となったとも考えられる。
五七調は、さらに座をたのしむ連歌としても広く普及し、俳諧的要素を強めたりもしたが、その発句が、松尾芭蕉の紀行文学のなかで昇華独立し、それが明治時代になって、正岡子規によって俳句として明確なひとつのジャンルとして確立されたということだと思う。
以下、芭蕉、蕪村、一茶の俳句から、わたしなりになにか深い共感をおぼえたものを列挙してみたい。
芭蕉の句
・猿を聞く人捨子に秋の風いかに
・道のべの木槿 (むくげ) は馬にくはれけり
・手にとらば消えんなみだぞあつき秋の霜
・碪 (きぬた) 打ちて我にきかせよや坊が妻
・死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮れ
・よく見れば薺 (なずな) 花咲く垣根かな
・古池や蛙飛びこむ水の音
・旅人とわが名呼ばれん初しぐれ
・草臥 (くたび) れて宿かる頃や藤の花
・父母 (ちちはは) のしきりに恋 (こひ) し雉子 (きじ) の声
・若葉して御めの雫ぬぐはばや
・おもしろうてやがて悲しき鵜舟 (うぶね) かな
・物言えば唇寒し秋の風
・草の戸も住替 (すみかは) る代 (よ) ぞひなの家
・行く春や鳥啼き魚の目は泪
・田一枚植ゑて立ち去る柳かな
・夏草や兵 (つはもの) どもが夢の跡
・閑さや岩にしみ入る蝉の声
・五月雨 (さみだれ) をあつめて早し最上川
・荒海や佐渡に横たふ天の川
・一家 (ひとつや) に遊女も寝たり萩と月
・初しぐれ猿も小蓑 (こみの) をほしげなり
・病雁 (びょうがん) の夜寒に落ちて旅寝かな
・菊の香や奈良には古き仏たち
・この道や行く人なしに秋の暮れ
・秋深き隣は何をする人ぞ
・旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
・山路来て何やらゆかしすみれ草
・月はやしこずゑはあめを持ちながら
・山も庭も動き入るるや夏座敷
・雲の峰幾つ崩て月の山
・暑き日を海にいれたり最上川
・手をうてば木魂に明る夏の月
蕪村の句
・古庭にうぐひす鳴きぬ日もすがら
・春の海ひねもすのたりのたりかな
・をの入れて香に驚くや冬木立ち
・くすの根を静かにぬらす時雨 (しぐれ) かな
・不二 (ふじ) ひとつうづみ残して若葉かな
・ぼたん散つてうち重なりて二三片
・石工 (いしきり) ののみ冷したる清水 (しみず) かな
・菜の花や月は東に日は西に
・夕風や水あをさぎの脛 (はぎ) を打つ
・涼しさや鐘を離るる鐘の音
・五月雨 (さみだれ) や大河を前に家二軒
・行く春や重たき琵琶 (びは) の抱きごころ
・白梅に明くる夜ばかりとなりにけり
・おそき日の積もりて遠き昔かな
・閻王 (えんわう) の口やぼたんを吐かんとす
・朝顔や一輪深き淵 (ふち) の色
・白露やいばらの刺 (はり) に一つづつ
・月天心貧しき町を通りけり
・ねぎ買うて枯れ木の中を帰りけり
一茶の句
・秋雨や乳放 (ちばな) れ馬の旅に立つ
・夕つばめわれにはあすのあてはなき
・ふるさとやよるもさはるも茨 (ばら) の花
・これがまあつひの住みかか雪五尺
・うつくしや障子の穴の天の川
・悠然 (いうぜん) として南山 (なんざん) を見るかはづかな
・むまそうな雪がふうはりふうはりと
・われと来て遊べや親のないすずめ
・涼風 (すずかぜ) の曲がりくねつて来たりけり
・すずめの子そこのけそこのけお馬が通る
・めでたさも中ぐらゐなりおらが春
・蟻 (あり) の道雲の峰より続きけり
・ともかくもあなた任せの年の暮れ
・大ほたるゆらりゆらりと通りけり
・秋風やむしりたがりし赤い花
・まかりいでたるはこのやぶの蟇 (ひき) にて候 (さうらふ)
・露の世は露の世ながらさりながら
・麦秋 (むぎあき) や子を負ひながらいわし売り
・春めくややぶありて雪ありて雪
・やれ打つなはへが手をする足をする
・寝せつけし子の洗濯や夏の月
・一人 (いちにん) と帳面につく夜寒かな
・次の間の灯 (ひ) で膳 (ぜん) につく寒さかな
・夕月や鍋の中にて鳴く田にし
・名月のごらんのとほり屑家 (くづや) かな
・衰へや榾 (ほだ) 折りかねるひざがしら
わたしは、芭蕉と蕪村の俳句に、とくにすごさを感ずる。なぞ、そうなのか、明確にこたえるのはむずかしい。俳句は、音の数、季語、切れ字などの制約のもとで、自分の言いたいこと、伝えたいことなどのエッセンスに焦点をあて、それにふさわしい言葉を、語順を含めて選択して作る。一物仕立てとか取り合わせといった区別があったりするが、作る側の感性と読む側の感性が反応するかどうかは、かなりむずかしい世界のように感ずる。俳句は、抽象化を限界まで押し進めたりするので、読む側の想像力の方向や強さにも影響されると思う。そこにどの程度の普遍性が宿されるかという問題も、芭蕉のように末永く読まれる句となるか否かの別れ道でもあるように感ずる。また詠む内容も、花鳥諷詠であったり、人間探究的なものであったり、その作成における問題意識も幅広く、作者と読者の関係も多様であろう。
こうした俳句の特徴を踏まえて、明治時代以降の現代俳句について、わたしなりに著名ではないかと思う俳句を、以下に列挙してみる。
・柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(正岡子規)
・いくたびも雪の深さを尋ねけり
・鶏頭の十四五本もありぬべし
・痰一斗糸瓜の水も間に合はず
・木がらしや東京の日のありどころ(芥川龍之介)
・木がらしや目刺にのこる海のいろ
・水涕や鼻の先だけ暮れ残る
・青蛙おのれもペンキぬりたてか
・流れ行く大根の葉の早さかな(高浜虚子)
・去年今年貫く棒の如きもの
・手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ
・神にませばまこと美はし那智の瀧
・赤い椿白い椿と落ちにけり(河東碧梧桐)
・芋の露連山影を正しうす(飯田蛇笏)
・くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
・雪晴れてわが冬帽の蒼さかな
・新参の身にあかあかと灯りけり(久保田万太郎)
・降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)
・金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り
・夏草に機関車の車輪来て止まる(山口誓子)
・七月の青嶺まぢかく溶鉱炉
・ピストルがプールの硬き面にひびき
・夏の河赤き鉄鎖のはし浸る
・かりかりと蟷螂蜂のかほを食む
・海に出て木枯帰るところなし
・鰯雲人に告ぐべきことならず(加藤楸邨)
わたしは、これらの現代俳句について、芭蕉や蕪村の句に感じたような感動をいまひとつ感じとれない。その理由は、はっきりとは分からないが、作者自身の存在が出すぎているとか、理知的で気づきのレベルで肯首するしかないとか、むずかしい言葉を使いすぎ理解できないとか、作者固有の体験の世界にクローズしているとか、いろいろ考えられる。
俳句を作る作業は、自分の内面の世界や外界の五感に感ずる世界の客観化など、日常では感じ取れないものを顕在化する機会がもて、それに読み手が共感してもらえたときは、なにか開放されたような気持ちにもなる。
僣越とは思うが、わたしがこれまでに作った句を以下、列挙してみる。
春の句
・胎動の不安帯びたる春の風
・春の陽に冷たき風の交じるかな
・地下鉄の駅の生け花春ともす
・春の陽に芽吹きいまかと街路の樹(き)
・日暮れ延び気持ち和らぐ春や来る
・春来たり屋上に出でお弁当
・ビルの窓春陽(はるひ)反射し眩しけり
・抹茶たてうぐひすを聞く桃源郷
・新緑に古寺の梵鐘たおやかに
・五月の陽木立に溢れ昼ツリー
・鯉のぼり雲の流れに競い合い
・青梅のかしこみており瓶の中
・廃屋の青梅桶 (とい) に並びおり
・乙女らの黒髪長し春の風
夏の句
・麦秋の輪廻の鼓動空に映え
・麦秋の鎮守の森に霊気満つ
・水面のバラの花弁に蟻ひとつ
・バラの茎昇り降りする黒き蟻
・雨粒の真珠装うバラの花
・バラの香に思いはせるや異邦人
・「バラ色の」とは遠い昔の淡き夢
・バラ世話す父の姿やはるかなり
・剪定の音の響くやバラの庭
・妖怪の気配帯びたる雲の峰
・雲の峰屋根の上に仁王立ち
・雲の峰大仏ごとき威容かな
・戦没の海にビールを注ぐかな
・仏壇のビールに笑ふ父遺影
・ふきこぼるビールの泡に口寄せる
・満天下46億年とビールのむ
・父ビール王冠バッチで子ら遊ぶ
・缶ビールいくつ冷やすか朝思案
・冷えきったビールに思わず頬ゆるむ
・かみなりに森や田の神迎え出る
・奥座敷遠きかみなりひっそりと
・かみなりを合図に妖怪湧き出でる
・かみなりにへその仇討ちかえる跳ぶ
・かみなりに都会の騒音押し黙る
・かみなりに「やかましい」とはおそろしく
・あさがほの淡きいろどり江戸情緒
・ろくろ首あさがほに見る不気味かな
・竹ぐしをあさがほの蔓(つる)ふきこぼる
・夏の朝樹々きらめいてカラス鳴く
・夏の陽にみみずのたうつ断末魔
・夏旅館朝日きらめく海入れる
・夏の道電線の影踏みつづけ
・夏の陽に燃えるいのち見老いみつめ
・夏祭り燃やし尽くせと狂世界
・夏休み終着駅に波の音
・昼寝する湖畔デッキのしずかさや
・とんぼとり虫かご母に見せし日も
・おにやんまこどもごころに爆撃機
・せみの声降り注ぐかな座禅堂
秋の句
・妻ひとつわれもひとつとぶどう食べ
・ぶどう種さがす目宙を追いにけり
・ガラス器に盛られたぶどう透きとおり
・ぶどうふさどれからとるか手がおよぎ
・ジェット機の吸い込まれ行く秋の空
・子ら巣立ち妻と二人の秋の暮れ
・前をゆくながき影追う秋の暮れ
・くしゃみして持った茶こぼす秋の朝
・紅と黄秋いろ街路青き空
・チェロの音に紅茶かたむけ秋の夜
・曇りなき秋天虚し老いゆえか
・満月を湖面にゆらす小舟かな
・月光に谷底の川ひびきおり
・海亀の月夜産卵波に消へ
・芋の葉の朝日吸い込む収穫日
・いちょう落ち葉浴びて昼寝す古老団
・ビル風がいちょう落ち葉の山つくる
・しらぎくに英霊の眼になみだかな
・ひとのみし海に菊投げ鎮魂す
・野にしても卑にあらずとは菊の花
・清涼の空と野菊に母想う
・鎮魂を菊に託すか海浜辺
・英霊に白菊捧げ黙祷す
・軍艦のごとく雲ゆく野分かな
・野分きて魑魅魍魎ら雀躍す
冬の句
・霜降(お)りていのちかしこむ大地かな
・霜の朝手に息かけし想い出や
・夕陽背に鴨飛ぶ下に富士の嶺
・鴨浮かぶ凍れる池に朝日ふる
・寒稽古終わりて教会鐘の音
・夕焼けの電線よぎる落ち葉かな
・街頭のひとごみ縫って舞う落ち葉
・落ち葉踏みコーヒー片手に急ぐ朝
・冬来たり段ボール持つホームレス
・冬来たりこころ鎮まる寒さかな
・垣根越し時雨れに急ぐ人の影
・つなみ跡がれきの草に時雨れ降る
・地下鉄の外に出れば時雨れかな
・とたん打つしぐれの音に夜寒かな
・熱燗のとっくり袴かしこみて
・冬の夜ラジオで聞いたコーヒールンバ
・妻避けて冬のコーヒー店昼下がり
・日記帳ともに歩みて年の暮れ
・ふくろうの声で酒飲むログハウス
・夜のダムふくろうの声跳ねる魚
・残雪やおきいしのごと歩道上
・寒き夕蒼くそびえる富士の嶺
・寒き夜は妻と二人で鍋かこむ
・脚痒く今年も冬かと老い自覚
無季の句
・死の床で雲の流れに別れ言ふ
・死出の旅無事参らせと祈るかな
・死ぬときは一人旅立つ父母のもと
・さらに生きなにかよきことあるか問ひ
・特養でムンクの「叫び」みるおもひ
・自分だか自分でないかこころ病む
・おそるべし孤独とひまに居場所なく
・避け難き老化といかに付き合わん
・歩くわれふと気がついていぶかしく
・人生の消化時間に俳句よみ
・みずからの生き方したか問いて死ぬ
・母と待ったこの三越のエレベータ
・いつの日かにこにこ顔もデスマスク
・ (火葬場にて) 残りしを掃きて集めし母の骨
・集めたり分けている間に寿命尽き
・このたましい死して生きるか別宇宙
・漆黒に蒼き地球の寂寥感
・雲変化空を彩る自在さや
・翼竜ら太古の空を滑空す
・地殻割けマグマに消えるいのちかな
・おおつなみ街のみこみてすがたなし
・物質のなかに意識の不思議かな
・誰が決め塩基コドンにアミノ酸
・とりもちの組織の論理やっと抜け
・つくられておしつけがましいこの社会
・オープンに化粧するとは機能社会
・自己主張勝手に投げ合う酒の席
・間違えて後の対処に人となり
・なんでかと問うときすでにとき遅し
・スマホみて前ゆく人をどつきたく
・都会夜コンピュータ回路いそがしく
・つけまつげ電車のなかも宝塚
・言いかけてぐっと抑える歳 (とし) の功
・おかしいと思いながらもなにもせず
|