感想文 (深瀬 記)
浅田さんの論文=第一次世界大戦では、悲惨な大量殺戮が行われ、それをきっかけに欧米列強はそれまでの帝国主義に基づく植民地支配を反省し、民族の自立を尊重するような態度に転換しました。また、イデオロギー対立の米ソ冷戦構造が終焉すると、自由市場主義経済を重視し、民間企業よるなんでもありの自由競争を尊重する態度に転換しました。これらの転換は、日本の社会に大きな影響を与えたことは、確かだと思います。日本は、こうした世界の潮流に適切に適合していく舵取りがうまくできていないのでしょうか。私が思うのは、人間らしさの深化という流れに、日本はあまりうまく適合していっていないように思いますし、また、科学の進歩の深いところで、いまひとつ徹底しきれていないようにも感じます。こうした問題に、日本の社会では、という切り口が適切なのか、迷いますが、人類全体としてどのような方向づけが適切なのかという問題意識を、日本の社会全体が踏み込まなくてはいけないように感じてなりません。米国は、銃の所有がかなり自由ですし、移民問題も含めて格差社会の様相を深めています。中国は、検閲とか監視とかで、本当の意味での民主主義になっていない感じです。そうした状況を踏まえながら、日本は人間らしさの深化も含めて、どのような立ち位置を築いていくか、瀬戸際に立たされているのかもしれません。
薗部さんの論文=今日の技術を使うと、実物のダニをレーザー光のようなものでスキャンし、3Dプリンターで実物の数十倍の模型を簡単に作り出すことが可能かもしれません。しかし、そのときの脚の位置など、ダニらしくするために、さらにCADのような仕組みで修正したりといった対応を図るかもしれません。魚や哺乳類の動物や鳥などの眼は、人間と同じように付いていますが、獲物の動きや襲ってくる相手の動きといったものを中心に見ていて、人間のように見たものに様々な意識を動員して、典型的な形はどうかとか、美しく見えるにはどうするか、といったことはしないように思います。人間は見ることを通して、対象の本質とか、美醜とか、さらには見ている自己自身の在り方を想像するといった作用があるように感じます。人間らしく見えるためには、どのような見え方が大切なのかといった問題意識もあるように思います。化粧をしたり着飾ったりする行為は、美しく見えるかどうかは、見る人によっても異なるかもしれませんし、それが人間の多様性を作り出す要因になっているのかもしれません。
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