「監視資本主義」という言葉を聞かれたことがありますか?これは、アメリカのハーバード・ビジネス・スクールのショシャナ・ズボフ名誉教授の作った言葉です。
現在、世界で急成長しているグーグルなどの巨大IT企業のビジネスモデルに関して名付けた言葉のようです。ズボフ名誉教授は「監視資本主義」を次のように定義しています。
ウエッブ検索や閲覧、交流サイトの投稿など個人のインターネット上での表現を収集して分析し、収益につなげる新しいビジネス手法を言うと。
具体的な例として、グーグルやフェイスブック(FB)が、個人の好みや関心を高い精度で予測し、ターゲットを絞った効果的な広告を行っていることなどが上げられています。
そして、スマートフォンなどネットに常時接続する機器を通じて特定の個人を追跡できることから「監視資本主義」と命名したとのことです。
こう書いてみると、ウエッブ検索や閲覧や交流サイトの投稿などは、一部の高齢者を除いて、ほとんどの日本人が日々何度も繰り返して行っている行動であることが理解できます。
特に、若い世代であれば、この行動が常識であり、逆に、使用していないこと自体が奇異に思える程、生活の中に入り込んでいるのではないでしょうか。
また、先ほど挙げたグーグルやFB以外にも、アップル、アマゾンの二社も同様な企業として挙げることが出来ます。そして、この四社に共通するのは、いずれもプラットフォーム企業であるということになります。
さて、ここで、最近よく目にする「プラットフォーム企業」についてです。この「プラットフォーム企業」の定義とは、商品やサービス、情報を提供する基盤となる企業のことで、特に、四社に関しては世界中の多くのユーザーが、四社の提供するサービスをプラットフォームとして利用しているということです。
また、特に重要なのは、ユーザーは単に四社のサービスを利用しているだけではなく、氏名や住所、「何を購入したか」「何に興味を持っているか」などの個人情報を四社に提供している点です。
これら個人情報は、文字だけでなく、音声や写真、動画を始め、利用状況や通信記録などのログと呼ばれるものも含まれ、大容量のビッグデータと呼ばれるデータであり、四社は、これらビッグデータを分析し活用しているところに特徴があります。
このプラットフォーム企業が集めたビッグデータを分析し、活用することで、収益を上げていくシステムをズボフ名誉教授は、「監視資本主義」と呼んでいるのです。
確かに、現代を生きているわたしたちにとっては、このシステムは社会的インフラとして無くてはならぬものになっています。多分、このインフラが無くなると、社会生活は大混乱を起こし、自然災害に匹敵するようなダメージを社会に及ぼすことになる可能性もあるように推測できます。
実際に、ソフトバンクの携帯通信が、一時的に途絶し、ネットも含めて繋がらない状態に陥った際、わずか半日程度でしたが、社会的混乱が生じた事例が最近ありました。
グーグルマップが使えないため、目的地に到着できなかったり、予約システムでお店を予約しようとしても出来なかったりと、日常生活に大きな影響を与えたことで、いかに、現代のわたしたちが、このプラットフォーム企業の提供するサービスに依存しているかが、浮き彫りになったのでした。
ただ、そういう依存状態にあることが理解されても、この状況を危険だと思う人たちはそれほど多くなかったようでした。「やつぱり、こういうサービスがあると便利だよね」といった感想を抱いた方たちが多かったのではなかったでしょうか。
つまり、わたしたちの生活にしっかりと根を下ろし、社会生活を円滑に送っていく上で、無くてはならぬ必要不可欠なサービスとして、改めて便利さを実感したということです。
実は、わたしはSNSを利用していません。更に、アマゾンでお買い物をすることもありませんし、アイフォーンではなくガラケイをまだ使用しているアナログ人間の一人です。
だからこそ、わたしは多くの人々が、なんの疑問も無く、このシステムに過剰に依存しようとしている姿に違和感を覚えて来たのです。そして、今回、「監視資本主義」という言葉を知り、自分自身の違和感が杞憂ではなかったことを確信したのです。
わたしが違和感を抱いたきっかけは、「アルゴリズム」による情報の選択と排除のシステムでした。プラットフォーム企業は、彼らが手に入れた膨大なビッグデータを駆使して、個々人の好みや興味を予測し、その好みや興味ある情報のみを選択し、個々人に流しているのです。
つまり、その人にとって興味のないもの、あるいは嫌いなものは最初から排除した上で、その人が好むもの、心地よいものだけを、提供していくというのです。
勿論、食べ物やファッションといったものは、個々人の好みがはっきりしており、嫌いなものを無理して食べたり、着たりする人は多くないので、こういった選択は有益なものだと思います。
しかし、この「アルゴリズム」は、一部の分野ではなく、全体に対して発動され、それにより選択と排除が行われているのです。つまり、気に食わない意見や考え方といったものに対しても、このシステムが発動されれば、自分と同じ意見や考え方の人たちのものしか選択されず、そのことで、世の中の人は皆自分と同じ意見や考え方を持っているのだと誘導されてしまうということです。
実際に、アメリカにおいては、トランプ大統領を支持している人は、トランプ大統領を批判するメディアから発信される情報はフェイク・ニュースと決めつけ、そういったニュースを配信するメディアをシャットアウトしていますが、そのシャットアウトにこの「アルゴリズム」は有効に働いているのです。
同様の事は、反トランプ大統領派の人々にも当てはまります。つまり、自分の見たいものだけを見たいということで、それ以外の情報をシャットアウトし、自身の内部に閉じこもることで、考え方の相違は拡大し、互いの分断が加速化しているのです。
この分断を効率的に、徹底的に進めていく上で、この「アルゴリズム」ほど便利なものは無いのです。AIが膨大なデータを迅速に処理し、それを個々人に提供し、個々人を誘導していくのです。
突然ですが、皆様はシュワルツェネッガーが主演した「トータルリコール」という映画をご存知でしょうか。この映画は、アメリカの作家フリップ。K・デックの短編小説を映画化した作品です。
制作されたのは千九百九十年。今から三十年ほど前の作品です。この映画のストーリーは、別人の記憶を意図的に植え付けられた主人公が、自身の本当の記憶に気づくことで、その背後にある陰謀を知り、それを阻止するSFアクション映画です。
その中で、わたしが現在に至るまで記憶している印象的なシーンがあります。それは主人公がショッピングモールと思しき室内を歩いていくと、壁面に彼だけに向けて、魅惑的な女性が彼の名前を呼びながら、商品の購入を勧めるシーンです。
彼が歩くに連れ、呼びかける商品名は次から次へと変化していきますが、彼に向けて発せられているという設定には変化はありません。そして、映画の中では特に描かれていませんでしたが、彼だけでなく、そこを通行する人々全てに対して、個別的に発せられるという設定でした。
このシーンを見た時は、まだ現在のようなアイフォーンも普及しておらず、携帯電話もごく一部の人が利用しているといった状態で(わたしも最初に携帯電話としてPHSを持ち出したのは、多分この映画より五、六年は後の千九百九十年代の半ばだったと記憶しています)こんな未来がやがて訪れるのかと、半信半疑だった感想を覚えたことを記憶しています。
漫画や小説や映画の世界で描かれた未来社会が、現実のものとして実現していくことは、それまでの経験からある程度予測出来ましたが、上記のように、個々人の好みや興味を察知し、そこに向けて効率的に宣伝をしていくということは、いつか訪れるかも知れないが、まだまだ遠い未来の事だろうとその時は考えていました。
しかし、現実は、この映画のような社会を生み出しています。さすがに、ショッピングモールを歩いていると、壁面に映像は現れませんが、手にしているスマホには、ひっきりなしに情報が届いてきます。
そして、その情報に誘われるかのように、多くの人々は、商品を購入し、興味のある商品が並べられている店を訪れるのです。そこには、誰かに指示されているといった「やらされ感」はありません。 もし、これが自分で主体的に選択していないと判断されたなら、こんなにスムーズに人々は行動することは無いと思います。つまり、自分が主体的に選んでいるという前提があることで「やらされ感」は生じて来ないのです。
だが、実際には「アルゴリズム」により、自分好みの商品に誘導されているのです。そして、見えない「アルゴリズム」を自身の主体性と錯覚することで、誘導の事実から目を背けているのです。
この構造はなにかに似ていると思いませんか?そうです。「神」の啓示やお告げです。「神」は人間の目には見えません。でも、古代より、夢のお告げといったように神からの啓示やメッセージを受け取り、それに従って行動したという例が語られてきました。
これは、人類に普遍的な事例で、どの民族にも、どの国にもある話です。そして、この神の啓示やお告げに従うことで、それまで困難と思われていた問題が解決するといった壮大なものもあれば、温泉を掘り当てるといったささやかなものまで幅広く残っています。
また、この神の啓示やお告げは、広く人々の下にもたらせられるのではなく、選ばれた人、あるいは特別な人にもたらせられることがほとんどのようです。
時には、この神の啓示やお告げを本気にせず、無視することで神に罰せられる、あるいは、神に選ばれた特別な人ということで迫害を受けるといったこともありましたが、人類にとって見えない神との交流ということで重要な出来事でした。
それで、わたしは「アルゴリズム」を神の啓示やお告げとしてイメージしましたが、これは、別にわたしの独創でもなんでもありません。
わたしはまだ読んではいませんが「GAFA 四騎士が創り変えた世界」というタイトルの書籍の中で、著者はプラットフォーム企業であるグーグル(G)アップル(A)フェイスブック(F)アマゾン(A)を現代の神に例えているようです。
例えば、その著書では、『アップルは宗教のような熱心なフアンを持ち』や『グーグルは現代人の知識の源で、全知全能の神である』といったことが書かれており、多くの人々がその巨大なネットワークに絡めとられていることで、これから世界がどこに向かっていくのかが描かれているようです。
更に、週刊誌「アエラ」の六月十七日号のコラム「稲垣えみ子のアフロ画報」の中で、稲垣氏はこの「GAFA 四騎士が創り変えた世界」を読んだ感想として、『一番震撼したのは、グーグルは現代の神という記述。その人が真に何者で、どんな恥ずかしい欲望を持ち、何に悩み、さらにはこれから何をしようとしているかまで、家族にも親友にも言ったことのない、まさに神のみぞ知ることをグーグルは知っている。なぜ?簡単なことだ。その人の検索ワードを見れば一発である。』と書いています。
彼女は、日頃便利に使用している・・それも無料で使用している親切なツールの背後に、こういう深くて大きな闇が隠されていることに初めて気づき、戦慄したということのようです。
さて、神に関しての向き合い方ということで、わたしは大学時代に受講したゼミ「性の総合的理解」の主任教授の話を思い出していました。池井望先生は、「性」に関して社会学的な切り口でアプローチされていました。
その中で、先生は、「自慰」に対して、日本人は欧米人より罪悪感を持つ人が少ないという統計的な数字を上げながら、その理由として神との向き合い方が欧米人と違っているといった考え方を披露されたのでした。
「日本には八百万の神と呼ぶように、至る所に神様はいるが、個々人が、その神様一人一人と向き合うといったことはほとんどない。氏神様であっても、自分の願い事が叶えたいといったような時に訪れ、お願いはするが普段は特に意識していない。ところがキリスト教を信奉する欧米人は違う。彼らは一対一で神様と向き合っている。全知全能の神が一人一人の行状を眺めているという発想から、自慰を行えばそれを禁止している神様に咎められると考えてしまう。だから、欧米人の方が日本人より罪悪感が強くなる」と説明をされました。
この説明を聞きながら、わたしは誰もいない個室で自慰をしている欧米人の若い青年が、フト誰かの視線を感じ、思わずその手を止めてしまうその先に、神の姿も一緒に描かれている映像を思い浮かべたものでした。
そして、稲垣氏のコラムを読みながら、かつて大学時代にイメージした映像を再び思い出していたのです。グーグルという全知全能の神様が、全世界の一人一人と向き合い、その人間の行状を監視している構図を。
そこには、本人しか知らない欲望や願望といったものが剥き出しのまま晒されているのです。最近、警察においても、犯罪を犯した人間のパソコンやスマホを押収し、犯人がどんなことを検索していたかを調査し、分析することで、犯罪の動機の解明に勤めようとしているようです。
実際、その検索ワードには、犯罪に関したワードが並んでいるなど、犯罪を引き起こすに至る準備として知識を得ようとしていた痕跡が遺されているようです。
そして、それを知っているのがグーグルということになります。グーグルには、世界各地から日々何十億という検索ワードがビッグデータとして蓄積されていきます。
これを分析することで、国家すら知り得ないような国民の意識や思想傾向が明らかになっていくのです。実は、中国ではグーグルの使用は認められていません。つまり、中国政府は、こういったグーグルの持つ力を事前に把握し、自国の国民の欲望や意識を部外者に漏らさぬよう防御壁を作っていたということでしょうか。
正直な所、トランプ大統領がメキシコ国境に建設し、不法移民を阻止しようとする物理的な壁よりも、真に恐ろしいのは、国境を簡単に乗り越え、世界中の人々の欲望や意識を丸掴みしているグーグルの検索を元にした「アルゴリズム」の方ではないでしょうか。
何故なら、物理的な壁は、それにより人的交流の一部を阻止することは出来るでしょうが、「アルゴリズム」を阻止するための物理的な壁を構築することなどは不可能に近く、人間の力が及ばぬ野放し状態が今後も続くことになるからです。
再び、映画の話です。二千二年に制作された「マイノリティ・リポート」という映画をご存知でしょうか。実は、この映画の原作者も、「トータルリコール」の原作者のフリップ・K・デックなのです。
デックの短編小説を、トム・クルーズ主演で映画化したこの作品も近未来社会を描いています。この映画では、予知能力を有した三人の超能力者が、犯罪を犯す人間を事前に予知し、その予知システムにより犯罪発生率がゼロ%になった社会を描いています。
ストーリーは、犯罪予防局の所員であるトム・クルーズ演じる主人公が、陰謀により犯罪者に仕立て上げられ、逃亡しながら、陰謀を解き明かしていくSFアクション映画です。
映画では、予知能力を有した人間が、このシステムの運営を担うという設定ですが、どうでしょうか。現代であるなら、予知能力を有した超能力者より、検索ワードのビッグデータを所有しているグーグルの方が、このシステムを運営できる唯一の存在になり得るのではないでしょうか。
検索ワードにより犯罪を未然に防ぐことは、決して荒唐無稽の与太話ではないという状況が現実に生まれつつあるように感じています。そして、このシステムの凄いところは、犯罪を犯す人間が自ら申告するという点にあります。
本来なら、隠さなくてはならぬ暗い欲望を、検索によって炙り出されるというところが画期的なところです。いつの間にか、本人も知らぬ内に、自らの心の中に生まれたどす黒い欲望を事前に把握される。こういう社会がついそこにまで来ているのかも知れません。
十九世紀の終わりに、ドイツの哲学者ニーチェは「神は死んだ!」と唱えました。確かに、それまでのヨーロッパを支配して来た古い神は死んだことで、二十世紀は始まりましたが、この二十一世紀には、再び新しい神が、アメリカから生まれたということでしょうか。
いずれにしても、わたしたちの生活に深く根付いたネット社会、そこから生まれた新しい神の存在を無視しては、これからの社会を展望することは出来ないようです。(了)
参考文献
「知恵蔵」「アエラ」「本の要約サイト」「北陸中日新聞記事」
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