感想文 (記 深瀬) 浅田さんの論文=情報の処理能力と記憶能力、および、顔認証などの人工知能技術に基づく認識能力などの飛躍的進歩は、私たちの人間社会の様相を一変させつつあるように思います。サイバー空間の私たちの社会運営に占める割合が急激に増大しつつあるなかで、個人の社会のなかにおける位置づけのようなものまで変質しつつあるような印象を受けます。民主主義社会におけるサイバー空間の警察は、どのような役割をになうべきなのか、真剣に問われ、対応が図られるべきときに入ったように感じます。迷惑メールのなかには、脅迫まがいのものまでありますが、警察に訴えても仕方ないと諦めているのが現状です。サイバー空間では、犯罪者を特定することが困難な闇サイトのようなものも存在するようです。国家同志でサイバーテロが繰り広げられているとも聞きます。民主主義国家においてさえこうした状況ですから、監視カメラと顔認証技術を駆使した独裁体制国家に対して、健全なプライバシー管理を期待することは不可能に近い感じがします。情報技術の進歩が、人間存在の在り方にどのような影響を及ぼしていくのか、大きな課題になっていくと思われてなりません。
薗部さんの論文=三島由紀夫についての理解はほとんどありませんので、思うままに書きますが、近代の産業社会化の流れのなかで「欲しがりません、勝つまでは。」といった標語が氾濫したように、目標や計画の達成に全てが総動員されるなかで、人間存在の根底への視点が脇に追いやられていくような傾向があったと思います。社会全体が、便利さや快適さを指向するなかで、本質的な意味論や価値観は不問にされ、それを補うかのように耽美主義的な感覚主義が横行する傾向があるように感じます。俳句も同じような傾向があるように思います。短歌や俳句といった詩歌は、ほんらい人間心情を深いところにある人間存在の根底を踏まえて詠まれるべきではないかと思ったりもしますが、これは容易なことではないので、手軽な快感的な美意識をくすぐるようなものが量産されるのではないかという気がします。人間存在の根底に迫ることは、決してたのしいものでも心地よいものでもないように思います。ますます人間存在の曖昧さに困惑を深めるということになるかもしれません。しかし、それを知らずに無邪気に戯れているよりは少しは評価されるべき在り方のように感じます。
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