浅田さんの論文=明治維新の始まりから太平洋戦争敗戦までの78年間、そして、太平洋戦争敗戦から今日までの76年とは、ほぼ同じような年数です。
明治維新の年に生まれ、太平洋戦争敗戦のとき亡くなった人は、自分の人生をどのように感じたのでしょうか。廃藩置県をし、日清戦争・日露戦争に勝利し、第一次世界大戦や世界恐慌を体験し、日中戦争、太平洋戦争へと突き進んだ日本社会に対して、どのような思いを抱いたのでしょうか。
太平洋戦争敗戦の年に生まれ、今まで生きた人は、どうでしょうか。それは団塊の世代であるわたしの人生にほぼ重なります。高度経済成長があり、ジャパンアズナンバーワンの時代があり、バブル経済の絶頂期と金融破綻の地獄があり、失われた20年とかがあり、かつてのみんなで頑張ろう的な雰囲気は消滅し、ひたすら競争社会のなかで、スマホを片手に自己責任の名のもと、気の抜けない社会に生きている感じがします。
わたしの孫は5歳と3歳ですが、この二人がこれからどのような人生を生きるのか、想像を絶します。量子コンピュータや人工知能が鎮座する社会や地球温暖化のような環境災害が頻発するような社会で、どのような生き方をしていくのだろうか、と心配です。
地球上の他のたくさんの生物を絶滅に追いやったり、何億年、何万年の時間を経て造り出された感動するのに余りある地球の自然美は、どのようになっていくのでしょうか。そういうなかで、人間とはどのような存在なのか、より一層理解を深めることが人間の使命なのではないか、という思いになります。
薗部さんの論文=地球上の生き物は、すべて個体として生きていることが不思議と言えば不思議だと思います。粘菌のようになにか危機的な状況になると一体化する生き物がいることも不思議です。そして、個体はなんらかしらのグループに属し、多くの場合、生存のためにいろいろな信号のやりとりをします。敵が接近してくれば鳴き声でそれを知らせ、グループとしての生存を高めようとします。
人間も基本的には、それと同じですが、人間の場合は、より深い共通理解に基づく相互信頼を構築しようとするのだと思います。宗教も芸術も、その一環です。具象的なものよりも、抽象的なものの方がより普遍的な共通理解に至ることができる考えることはできますが、はたして本当に共通の理解を得られているのかという疑問に答えることは、抽象度が増せば増すほど困難になると思います。人間相互理解の深さという観点からは、芸術といっても、絵画なら音楽や文学といったように、他分野のものとの比較を行ったりするのもありうることだと思います。
投票による多数決は、共通性を図るひとつの尺度だと思いますが、共通性が高いことがグループにとってよいことである保証はないと思います。個々人の生活パターンをビッグデータとして分析し、その人の社会との共通認識度合いを計るとか、そういう時代が来るのだろうかとか、心配になります。プライバシーというものは、どうなるのでしょうか。
個体として生きている生き物が、共通理解をシェアすることによって安心や安定を得るという姿勢は、普遍なのかもしれません。そうした観点から、人間とはなにかという問いを深めることがますます大切になるのではないでしょうか。
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