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第148号

2020年10月21日

「地球社会のこれから」 深瀬 久敬

 

 昨今の日本の男性の平均寿命は約81歳、自立した生活が可能な健康寿命は約72歳のようです。ということは、わたし自身はすでに健康寿命を尽きているということになります。最近、元三井住友銀行頭取の西川善文氏の82歳でのご逝去の追想記事を読みました。「燃え尽きたのだろうか。最期は穏やかな、老衰だったという。」と書かれていました。大銀行の頭取をされた方と比較するのはおこがましいですが、自分もあと10年くらいで燃え尽きる時期にきているのかと、老化の進行と死が間近に迫ってきていることに思いを新たにしました。 

 確かに、注意力、意欲、根気、体力など、あらゆる面での低下が加速度的に進んでいることを実感する毎日です。 

 生きている残りの時間をどのように過ごすか、最近、下記のように考えてみました。 

  • 明るく振る舞う。感謝の気持ちをいつも持つ。生きていることをありがたく思う。周囲に暗い顔はみせない。 
  • 体調の自己管理を充分行う。睡眠、飲食、運動/ 筋トレ、代謝、等。 
  • 身の回りの整理整頓を常に行う。清潔も大切に。ゴミ屋敷は最悪。 
  • 問題意識、好奇心、興味、工夫、チャレンジ精神をいつも持つ。いろいろな人との交流を大切にする。俳句、囲碁、ゴルフなど。 
  • ぼんやりしたり、ポテンシャル低下、気力・意欲なしのときは、静かに横になって回復を待つ。 
  • 人類のため、近所のため、家族のため、等になにか役に立つ。多少なりとも社会貢献を意識して行う。人間とはどのような存在なのか思索を深める。 

 また、今年10月11日に放送された「こころの時代 天地いっぱいを生きる 安泰寺 九代目堂頭ネルケ無方」という番組のなかで、無方氏は、生きていることの意味を求めるのではなく、いま生きているこの瞬間の奇跡を噛みしめることの大切さを説いているようでした。 

 老化を強く意識する日々のなかで、俳句を二つ作りました。 

  • 生きている疑問すらなきときありし 
  • ただ死ぬを待つ身のときの重さかな 

  座禅の世界のように、自分ときちんと向き合い、自分のこころのなかをよくみることが大切なのかと感じたりしています。 

  そういう状況でもあり、これからの地球社会はどうなっていくのか気がかりになります。以下、その辺について、三点ほど述べます。

 

  1.中国について 

  中国は、今日、経済力、科学技術力、軍事力、等において米国を猛追し、米国を追い抜くのは時間の問題とも言われています。 そして、中国は、中国共産党主導の統制下のもとで、国内的には、監視社会の強化、民主化運動の弾圧、少数民族の人権抑圧などを進め、対外的には、一帯一路開発、南シナ海の九段線制定、台湾併合などをかなり強権的に進めている印象です。 

  鄧小平氏のもとでの改革開放政策以来、西側陣営は経済力の高まりにつれて、必然的に民主化の方向に向かうものと予測していました。しかし、今日、習近平氏の指導体制が強化されるなかで、こうした予測が誤りだったという見方が強まってきました。そして、こうした中国政府の姿勢が明確になるのにしたがい、中国と距離をおく国が増えてきているようです。その一方、中国と同じような非民主主義の強権国家が中国と手を結ぶ傾向が顕著なのは由々しきことだと思います。 

 いまのような状況が今後も続くと、核戦争も想定された米中対立をはじめとするかなり危機的な状況を迎えることになるのではないでしょうか。 

 今日の地球社会は、保守思想と革新思想が入り乱れ、なにが正しいのか見通しのつきにくい状況にあります。しかし、オープンな社会であることが、私たちの置かれている状況を適切に把握していく上で必要不可欠な基本的な価値だとは強く思います。 

 

 2.保守派と革新派について 

 民主主義の政治の世界では、二大政党制のもとで、保守派と革新派が適切にせめぎ合うのが理想的とされてきました。 

 わたしの理解では、保守派とは、科学の視点を獲得する前からの価値観にウェイトを置くのに対して、革新派は、科学の視点にウェイトを置くのだと思います。科学は、この世界の現象界としての側面を把握し、その因果関係を客観的に分析し、功利的視点から課題の解決策を見いだす姿勢だと思います。科学の視点は、キリスト教という教義を世界宗教として普遍化する努力のなかで鬼っ子として生まれたことに注意すべきだと思います。一方、保守派は、生きていくことの困難さを克服するために依存した宗教的な態度を機軸としています。人間はさまざまな自然災害、疫病、社会的混乱などに集団や個人として対応するために宗教的権威を立ててきました。そこでは深い祈りとその権威を絶対的なものとして信奉する姿勢が基本となりました。祈りの強さを訴えるために、大切な子供を生贄としたり、高い芸術性をもつ偶像の制作に巨費を投じたりしてきました。 

 したがって、保守派は、信奉する権威のもとでの現状の秩序の安定を指向するのに対して、革新派は、現象として把握された課題の解決法を科学的な視点から模索します。LGBTや人工妊娠中絶への考え方の相違は、こうした視点の違いからきているのだと思います。 

 革新派は、多様性をなんとか工夫して受け入れていこうとしますが、保守派は、伝統的価値観に固執する傾向があります。保守派は、信奉する権威が異なれば対立することになりますが、革新派は共存を指向します。しかし、現象世界の問題を全ての面から満足する対応策を得ることには無理がありますから、安定性には欠けることになります。 

 最近は、グローバル化や経済競争の激化に伴う格差社会の拡大、地球温暖化に伴う自然災害の拡大、ツイッターのような衝動的情報発進などに起因して、保守派の視点が社会的に強まっているようです。どのようにバランスをとっていくか、難しい局面に立たされていると感じます。人工知能の活用も視野に入れていくことになるかもしれません。 

 

 3.プライバシーの問題 

 プライバシーの問題は、近年、クラウド技術、ビッグデータ解析技術、GPS技術、顔認証技術、携帯端末技術、5G技術、IoT技術、監視カメラ技術、量子コンピュータ技術などの急速な進化を背景に身近な問題になりつつあります。

 中国製の通信基地装置にバックドアがあり、GPS情報などが中国政府に抜き取られる可能性があるなどとして、国際的貿易紛争に発展したりしています。

 いつなにを購入したか、いつどこに行ったか、だれとどのようなメールのやりとりをしたか、どのような内容の検索を行ったかなどの情報が一元管理されることには、正直、違和感を覚えます。それによって、効率的で便利なサービスを享受できるとしても、それを管理する側が政府のような逆らえない権威を握っているとなると躊躇いを感じます。

 そうした見方を減らしていくためには、開かれた社会であることを実感できる環境基盤が必要です。「知らしむべからず依らしむべし」的な権力のもとでは、いくらDXを叫んでも抵抗感を払拭できません。今日の日本政府の対応には、いくつかのこうした対応が見受けられるのはたいへん残念なことです。日本の社会は、率先して北欧諸国のような開かれた信頼関係を基本とした社会に転換していくことがもとめられていると思います。

 最後に、今日、地球環境に対する人類の責任は非常に大きなものになってきています。人類の未来のみならず、地球上に生きている全ての生物に対しても重い責任が課されています。こうした責務をどのような仕組みで果たしていくかが、今、問われていると思います。

 


「負けること勝つこと(104)」 浅田 和幸

「問われている絵画(139)-絵画への接近59-」 薗部 雄作

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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