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第149号

2021年1月21日

「負けること勝つこと(105)」 浅田 和幸

 

 この原稿を書いている2020年は、多くの人たちにとって想定外の1年ではなかったでしょうか?わたし自身も1年前を振り返ってみても、コロナ禍のニュースはまだ届いてはおらず、いつもの年と同じような歳末を迎えていました。

 忘年会と称して、気の合う人たちと酒を酌み交わし、会いたいと思う人とも、何の抵抗感も無く連絡を取り合い、都合を付けて会っていました。

 ところが、1年後の今年の歳末は、全く異なったものに変化してしまいました。忘年会どころか、仲間内の飲み会に出席することも憚られるような雰囲気の中で、静かに年の暮れるのを待っているといった状態です。

 そして、これはわたしだけでなく、世界の多くの人たちが同様の思いの下に、年の暮れを迎えているのです。そういう意味では、現在生きている人間にとっては、初めての経験だと想像できます。(現在生きている人の中でスペイン風邪の記憶がある人は皆無だと規定して)

 その結果、これまで隠されてきた様々な事柄や事実が、白日の下に晒され、豪華だと思っていた飾りが、安っぽいペンキで塗られたチンケな飾りだったとか、信頼出来ると考えていた制度が、まったく頼りにならない空虚な制度だったといったことが一挙に明らかになりました。

 特に、8年余りも長期間に渡り日本のトップに君臨し、リーダーとして信頼され、国政選挙においても絶大な支持を得て来た安倍総理大臣が、非常時において、何一つとして的確な判断の出来ぬぼんくらであることが白日の下に晒されました。

 彼は、2011年に起きた東北大震災とその後に起きた福島の原子力発電所の事故に対して、当時、政権を担っていた民主党の管総理大臣の無能さを声高に非難し、「悪夢のような民主党政権」と選挙の際に連呼していましたが、実際に、今回のパンデミックが起きると、何一つ的確な判断をせず、思い付きや行き当たりばったりの施策を連発して、国民の失望を浴びたのでした。

 そして、第一次安倍政権の際に、スキャンダルが頻発し、にっちもさっちもいかなくなった時に、病気を理由に退陣したように、今回も逃げるようにして病気を理由に政権を放り出したとわたしは推測しています。

 更に、下司の勘繰りかも知れませんが、責任のある総理大臣を辞任した途端に、安倍元総理は元気を回復し、自分の元部下であった菅総理大臣の「解散権」をけん制するような発言を行ったり、党の要職に推されて就任したりと、逃げ出した時のしおらしさとは裏腹な行動を取って顰蹙を買っています。

 いずれにしても、彼を支持し、信頼して来た日本人は、実像と虚像の余りの落差を目の当たりにして、その現実を認めたくないといった気持ちを持ったことでしよう。そして、今年は、それ以外にも、多くの人たちにとっては、本当は見たくない醜い現実や無慈悲な現実を目の当たりにして、呆然自失の状態で立ち尽くしているといった感想を抱くようになった1年ではなかったでしょうか?

 その中でも、わたしが特に注目していることは、わたしたちが暮らしている日本社会が、決して経済的に豊かな社会で無くなったということです。

 これは、正直なところ、多くの日本人にとっては、認めたくない現実でした。だから、見ないふりをしてやり過ごして来たというのが、これまでのわたしたちの姿勢だったように思います。

 しかし、コロナ禍は、そういうわたしたちの恣意的な判断や願望を粉々に打ち砕くことになりました。コロナの伝染を抑えるために、政府が発動した「緊急事態宣言」により、職を失ったり、稼ぎを失ったりする人が続出し、行政が支出する一時金を借りないことには、暮らしていけない事実があからさまになりました。

 つまり、貯金といったような経済的ストックを所有していない人々が、この日本社会には、膨大に存在しており、平常時には見えてこなかった貧困が、非常時にははっきりと見えて来たということです。

 そして、その数が、パンデミックの進行とともに増大しており、ただでさえ不安定な人々の生活を直撃し、貧しさを炙り出す結果となりました。注①(生活困窮者向けに全国約900自治体に設置されている相談窓口「自立相談支援機関」で、新型コロナウイルスの感染が拡大した今年度上半期(4~9月)の新規相談が39万1717件に上ることが、厚生労働省の集計でわかりました。前年度同期(12万4439件)の3倍に急増。年末の雇い止めなどで困窮者はさらに増える可能性があり、同省は年末年始の支援体制を整えるよう自治体に求めています。)

 わたしが大学時代に学んだ社会学の中で、こういった貯金などのストックも無く、毎日労働することで、その日その日の糧を得ているといった階層を「ルンペン・プロレタリア」と呼んでいたように記憶しています。

 この「ルンペン・プロレタリア」階層は、資産やストックがほとんど無いために、その日暮らしを余儀なくされ、経済的変化に著しく影響を受けるために、非常に不安定な階層であり、政府の経済政策の失敗等により、一気に狂暴化したり、暴徒化したりする危険性を孕んでいると考えられていました。

 特に、第一次大戦末期にロシアで起こったロシア革命により、「無産階級」の有する潜在的なパワーを、時の日本政府の指導者たちが恐れたことで、彼らを取り締まる法律として「治安維持法」が生まれたことは、歴史の教科書にも掲載されています。

 そういう意味で、戦後の日本社会は、こういった不安定な境遇の人々に職を与えることで、彼らの持つマイナスのパワーを減らし、暴発や狂暴化を抑制する施策を、積極的に選択してきました。

 そして、それが自民党の長期政権を実現させた大きな力でした。天候に左右される不安定な第一次産業から第二次産業への労働人口のドラステックな転換が、60年代の高度経済成長を生み出しました。更に、アメリカとの貿易摩擦を解消するために、第二次産業から第三次産業への転換は、その後のバブル経済を生み出しました。

 わたしが小学生だった頃に、北九州の炭鉱地帯で起きた大きな労働争議は、エネルギーが石炭から石油へと転換していく中で起こった激しい労働争議でしたが、その影響で離職した労働者を、新たに生み出された産業が雇用していくという流れの中で、一部は先鋭化し過激化しながらも、最終的には暴動にまで発展することなく、解決できたのも、こういった痛みを伴う構造変換に、日本社会は十分に応えられるだけの余力があったということでした。

 しかし、今回のパンデミックでは、そういう余力を失ってしまった日本社会を直撃し、貧困の連鎖が止まらない状況を生み出しているようです。それは、ある意味、日本が先進国の仲間入りをし、かつてのような高度経済成長が期待できないことも要因としてありますが、それよりも日本社会が実態として貧しくなったということを表しているように思います。

 ここに一つの統計データーがあります。それは、IMFが出している「世界の一人当たり名目GDP国別ランキング」です。注➁(一人当たりGDPとはGDPの総額をその国の人口で割った数です。一般にGDPが大きいほど、経済的に豊かであるとされ、一人当たりGDPが1万ドルを超えるとおおむね先進国といわれるようです。但し、GDPはあくまで国単位の値なので、世界ランキングの高い国の国民が皆裕福かといえばそうとはいえないのが現状です。国民の裕福度を図るには、国のGDPを人口で割った一人あたりのGDPの値の方が近いといわれています。)

このデーターは誰でもネットで簡単に検索できるデーターです。その中で、2019年のランキングで、日本は世界何位にランクしているでしょうか?

 答えは1人当たり40,256米ドルで世界25位となっています。アメリカ合衆国が7位、オーストラリアが11位、ドイツが18位など、欧米諸国が日本の上にランクインしています。

 ところで、このIMFの統計ですが、ネットで表示されているのは、1990年からとなっています。丁度30年前からの資料を見ることが出来るわけですが、その中で、日本が最高位に位置していたのはいつだったでしょうか?

 答えは2000年の2位というのが最高位でした。つまり、20年前には、世界で名目GDPが、2位だった日本が、20年経過した去年には、25位まで落ちたということになります。

 総務省の統計局のデーターによりますと、2000年の日本の総人口は1億2665万人、それに対して2020年は1億2577万人ということで、人口が減少しているにもかかわらず、名目GDPのランキングがこれだけ下がっているというのは、正直なところ驚きを隠せません。

 更に驚くべき事実があります。日本は2位だった2000年は国民1人当たり38,536米ドルでしたが、2019年は40,256米ドルと2千ドル弱しか上昇していません。一方、2000年に36,318米ドルで5位だったアメリカは、2019年には65,254米ドルと1.8倍に増えましたが、ランキングは下がり7位となっています。

 つまり、日本はこの20年の間、ほとんど経済成長していないという事実です。GDPは、アメリカ、中国に次いで第3位ですが、それは人口が比較的多いということでの結果であり、国民1人当たりとしては最早経済大国などとは言えない現実があるのです。

 しかし、日本政府はそういう不都合な事実を国民に示すことなく、日本は経済発展をし、今後も国民生活は豊かになっていくといったプロロバガンダを垂れ流して来ました。特に、第二次安倍政権が打ち出した「アベノミクス」は、株価が上昇し、雇用が改善されたことで、成功したという幻想が流布してきました。

 ただ、これも冷静に分析して見れば、安倍首相と日銀の黒田総裁が掲げた「デフレ脱却」のための物価上昇2%は、7年間の間に一度も実現することなく、逆に、物価はデフレ傾向を脱却できぬまま下落を続けています。

 そして、昨年10月の消費税増税、今年2月からのコロナ禍による自粛生活等による経済活動の低下、その結果の給料やボーナスの減少は、日本人の可処分所得を更に減少させると共に、物価の下落は止まらぬまま現在に至っています。

 それでも、12月の日銀の定例会議の後に、黒田総裁は、あくまでも物価上昇2%を堅持すると、これまでの目標だった看板を下ろすことは無いととコメントを出しましたが、残念ながら市場関係者を含めほとんどの日本人は、彼の言葉を信用していないのではないでしょうか。

 いずれにしても、この20年間の間に、日本を除く多くの国では、経済発展が進み、国民の個人所得が増大しているに関わらず、日本では経済が停滞し、国民の個人所得が据え置かれたままであり、それがランキングにおいての2位から25位への下落の原因となっているようです。

 この原因として挙げられるものが労働生産性です。日本はこの労働生産性が極端に低いと言われています。実際、日本の労働生産性は先進各国で最下位(日本生産性本部)となっています。

世界競争力ランキングでは34位、日本の項目別ランキングは、政府効率とビジネス効率が大きく足を引っ張っており、ビジネス効率では、マネジメント慣行が63カ国中62位と下から2番目。生産性&効率も55位と下から9番目でかなり深刻な状況です。政府系金融61位と物価59位も極めて低く、企業の競争力にとって非常に重要な「姿勢&価値感」でも56位で非常に悪かったため日本の凋落が止まっていません。(2020年IMD)。

賃金に関して見てみると、OECDに加盟している同じアジア諸国である韓国に後塵を拝し、年収・時給ともにアジア諸国では最下位(OECD加盟国内)となってしまいました。OECD加盟国の先進国(G7)の中では、アメリカを少し上回ることで、なんとか最下位を免れた結果となっています。(2019年)

また、「相対的貧困」と呼ばれる指標があります。その国の文化・生活水準と比較して困窮した状態を指し、具体的には「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」と定義されています。日本の相対的貧困率は、12年は16.1%、16年は15.7%もありました。約6人に1人が相対的貧困なのです。「OECD経済審査報告書(2017年)」には、国別の相対的貧困率が掲載されており、日米欧主要7カ国(G7)のうち、日本は米国に次いで2番目に高い比率になっています。

更に、教育に関する公的支出のGDP比は43カ国中41位、年金の所得代返率は50カ国中41位、障害者への公的支出のGDP費は37カ国中32位、失業に対する公的支出のGDP比は34カ国中31位(いずれもOECD)とどの数字を取っても日本の貧しさが浮き彫りになっています。

日本の労働生産性は先進各国で最下位であると先に書きましたが、実はこの順位は50年間ほとんど変わっていません。日本経済がバブル化した1980年代には、各国との生産性の差が多少縮まったこともありましたが、基本的な状況に変化はなく、ずっと前から日本の生産性は低いままなのです。1人あたりのGDP(国内総生産)が世界2位になったこともありますが、それはほんの一瞬に過ぎなかったことが明らかになっています。

また、日本が輸出大国であるという話も、過大評価されている面があります。2017年における世界輸出に占める日本のシェアは3.8%しかありません。1位の中国(10.6%)、2位の米国(10.2%)、3位のドイツ(7.7%)と比較するとかなり小さいシェアであることが分かります。

注③(中国は今や世界の工場なので、輸出シェアが大きいのは当然かも知れませんが、意外なのは、輸入大国に見えて、米国も輸出大国であることが分かります。更に、驚くべきなのはドイツで、GDPの大きさが日本より2割小さいにもかかわらず、輸出の絶対量が日本の2倍以上もあります。)

こういう事実を積み上げていくと、現在の日本社会が置かれている状況がよりはっきり見えてくるのではないでしょうか。日本経済を支えているのは、輸出ではなく内需であり、国内での消費が下落すれば、日本経済の景気が悪化するという因果関係が見えてきます。

実際、パンデミックが発生し、全土において国民の移動を禁止するなど強権的な政策を実施し、徹底的に感染を抑え込んだ中国は、夏以降は経済も急速に回復しています。

ところが、中途半端な感染対策に終始し、第一波に関しては緊急事態宣言を発令し、辛うじてやり過ごすことが出来た日本は、夏になり「GO TOキャンペーン」開始したことで、11月以降に感染者が急増し、医療崩壊の瀬戸際にまで追い詰められているというていたらくです。

更に、収入が減少した企業や個人に対しての給付金や雇用助成金も、来年の1月末、2月末に終了することで、経済的に困窮した人たちが大量に出現するのではないかと心配されています。

先にいくつかの資料で明らかにしましたように、日本政府の『公助』が他の国々に比較して断然低いという現実を前にすると、菅総理大臣が口にしている「自助」では、今回の経済的苦境を乗り越えていくことが、とてもできないことはわたしでも理解できます。

しかし、菅総理大臣を含め、現在の日本政府は、『自助』を前面に押し出した新自由主義経済の推進を止めようとはしていません。このまま推移すれば、経済的格差は増大し、社会の亀裂が益々大きくなっていく事は確実に思えます。そして、それは日本の社会を不安定なものにしていくのです。

ここは、一度立ち止まり、わたしたちがこれから進むべき道を、国民全体で議論していく事が必要だと考えています。コロナ禍が、社会的な禍であるなら、「災い転じて福となす」といった格言を思い出し、真剣に議論し、実行していく事が何よりも求められているのではないでしょうか。(了)


「問われている絵画(140)-絵画への接近60-」 薗部 雄作

「DXを超えた地球世界へ」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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