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第149号

2021年1月21日

「DXを超えた地球世界へ」 深瀬 久敬

 

1.近代社会と客観能力

近代社会を特徴づけるものは、一人ひとりの人間が世界を客観する能力を持つということを認めていることだと思う。

このことによって、人間は自然界の諸現象を因果法則に基づいて理解する科学を獲得した。さらに、人間自身を客観することによって、一人ひとりの人間が自由、平等であることを理解し、民主主義による社会運営を普遍とすることを知った。

近代以前の社会においては、人間は自然界への畏怖と感謝の気持ちで覆われ、生きている喜びや悲しみは、全て人知を超えた神的な権威よって支配されているという認識で満たされていた。そうした理解を踏まえて、さまざまな宗教や政治制度が受け入れられ、そこに権威が付与され、社会の秩序と安定が保持されたのであった。

 

2.客観能力獲得の歴史

一人ひとりの人間が世界を客観する能力を持つということに気がついた背景には、キリスト教神学の教義の普遍化への理論武装の過程があった。そこでは、プラトンやアリストテレスのギリシャ哲学やユークリッド幾何学の活用が推進された。しかし、結局、この作業はたまねぎの皮を剥くような作業であり、神学における意味や価値を理論的に証明することは不可能であることが悟られた。その代わりの結果として、現象の因果関係をあるがままに客観する態度を獲得することができたのである。こうした真理の探究の行き着いた果てに、人類は世界を客観する視点を獲得したという歴史的事実を、近代社会を生きる一人ひとりの人間が理解し受け入れることは基本的要請ではないかと思う。

 

3.科学技術と工業化社会

 「科学」と「個人の自由」に立脚した近代社会において、まず「科学」は、知識は力なりとして、自然界の様々な現象の定量的定性的な因果法則を次々に解明した。同時に、産業革命を通して、それ以前の農業や牧畜を中心とした社会から工業に比重を置く産業経済社会への転換をもたらした。

そして、大量生産のための資源の獲得や販売市場を求めて、植民地の獲得競争が引き起こされ、帝国主義の時代が始まった。この競争は、人類史上、かつてない大量の戦死者をだす二度の世界大戦をもたらした。さらに、生産財の私有か国有か、資本家と労働者の位置づけ、等を巡って、米ソ冷戦のイデオロギー対立が生じた。二度の世界大戦は帝国主義の終焉をもたらし、米ソ冷戦のイデオロギー対立は、技術のイノベーションに基づく産業の発展に遅れをとったソ連邦の崩壊によって幕を閉じた。

 

4.工業社会から金融の時代へ

こうした日常生活の便利さや快適さを追い求める製造業の時代において、日本は、自動車や半導体などの産業分野で台頭し、米国の脅威とみなされるようになった。こうしたなかで、マネタリズムの潮流が引き起こされ、ハイエクやフリードマンの新自由主義が標榜された。そして、自己責任を基本とした小さな政府が望ましいとされ、レーガン大統領やサッチャー首相らによって推進されたことは記憶に新しい。こうした新自由主義の傾向は、ピケティ氏が指摘したように、資本の利益性が所得の成長を上回るということから、グローバル化が進むなかで、社会の格差の増大を招いたとされている。一方、トリクルダウンの考え方、絶対的貧困と相対的貧困の区別、リーマンショックにみるような金融業界の倫理性、中央銀行による金融緩和策と現代貨幣理論、投資対象となった不動産価格の上昇によって若者が住宅を取得することが困難になったこと、ベーシックインカムの思想、ビットコインのような仮想通貨の登場など、山積する金融に関する課題もひとごとでは済まされなくなりつつあるように思われる。

 

5.デジタル技術の席巻

 上記のようなマネーに関する大きな潮流の一方で、デジタル技術の急激な進展により、わたしたちが取り扱い可能な情報量が爆発的に増大し、そのことが、現代社会にかつてない大規模な変革をもたらそうとしている。コンピュータ処理、データ記憶、パケット通信などの情報処理技術の格段の進歩によりクラウド技術が急速に普及した。そして、それをベースとしたGAFAと呼ばれるIT巨大企業が世界中の情報を牛耳る体制が確立されつつある。かつて市場は競争原理を持ち込むことによって良い方向に向かうとされ、独占禁止法が制定され、企業分割のような施策が行われた。しかし、GAFAについては、グローバルな国境を跨ぐ活動を行っているため、既存の独占禁止法の概念では対応が困難なようである。そして、クラウド技術は、個人の購入履歴、検索履歴、生体認証情報、信用スコア、GPS移動情報、個人生活情報など、広範な個人情報を、人工知能を伴うビッグデータとして様々な目的に沿って分析活用することが可能になりつつある。わたしたちは、クラウド技術というかつて経験したことのないような情報空間を生きる存在となり、サイバー犯罪、量子コンピュータ、遺伝子ドーピングといった新たな技術的挑戦にも立ち向かわざるをえない状況に置かれていることを認識しなければならない。

 

6.民主主義の状況

 「科学」は、クラウド技術、バイオテクノロジー、宇宙物理学など、驚嘆すべきスピードで発展しつつあるが、一方、「個人の自由」を前提とした民主主義の社会への進展はどうであろうか。

 民主主義は、社会運営にあたっての方向を多数決によって決めることを前提としている。しかし、多数決が正しいという保証はないことも明らかである。従って、民主主義の理念は、見いだされた後もその実現は簡単なことではなかった。今日、民主主義が普遍的なものとして評価されているのは、アメリカ合衆国(米国)の建国のときに民主主義がうまく機能したことが影響していると思う。米国には、建国当時、ヨーロッパのように既存の社会的権威が存在しなかったし、多様な国から移民が押し寄せたため、民主主義の理念に基づく社会運営を行使せざるをえず、なおかつ、その後の産業経済の発展において大きな成功をおさめたことも説得力を高めた。

 今現在の世界を見るならば、民主主義が排除されている国家がいかに多いことか驚く。中国は共産党、ロシアはプーチン大統領、タイやミャンマーやエジプトは軍部、サウジアラビアや北朝鮮は血縁一族の世襲などによる独裁体制を敷いており、民主主義国家とは言い難い。特に、中国は経済大国としても、先端技術開発においても存在感を高めているが、その独裁国家としての強権性がこれからの世界にどのような影響を及ぼすのか注目される。一方、米国社会におけるポピュリズムの台頭も注視されなければならないだろう。

 デジタル技術の急速な進展に伴い多様な才能をもつ個性が求められる世界において、独裁体制が存続可能なのか疑問を感ずる。しかし、格差社会やポピュリズムなどが看過できない世界において、個人の客観能力を無視した古い権威を楯にした独裁体制は簡単には退場しないかもしれない。

 また、民主主義の普遍化に向けては、教育の大切さへの認識が必要不可欠だと思う。それは義務教育の必要を説いたルソーのころから指摘されていることである。仕事をするための職業教育と共に、自国史、人類史、地球史、宇宙史、美術史、人間とはどのような存在かを考察する哲学思想史といった一般教養も、生涯に渡って学べる社会的仕組みが必要不可欠だろう。地球社会として、デジタル技術を活用したそうした取り組みがあってもよいと思う。民主主義の根幹は、多様性の許容だと思う。多様性を維持することは簡単なことではない。地球上の生物種も含め、多様な才能を活かす社会の構築が大切である。伝統的な権威を維持し、多様性をある程度制限する保守的な考え方も社会の秩序と安定を維持するためには必要なこともあるだろう。そうした保守と多様性を高める革新とのせめぎ合いが、今後の民主主義を発展させる上で問われるのだと思う。

 

7.日本の社会の状況とこれから

次に、日本の社会の状況と今後のあり方を考えてみたい。

 日本は、戦後、米国から純粋な民主主義の憲法をあてがわれた訳であり、それはある程度うまくいっているように思う。その理由は、日本社会は極端な格差社会ではなかったし、一般教養的な知識がある程度浸透していたことが背景にあると思う。

 一方、江戸時代、明治・大正・昭和と続く、古い権威の残滓はいたるところに残っており、個人の客観能力を踏まえたような民主主義の浸透はまだまだ行き届いてはいないと感ずる。昨今の安倍政権の隠蔽体質 (モリカケ花見、学術会議、等) は、その典型であろう。行政機関がいまだに天皇を現人神とした明治時代の意識から完全には抜け出せていないように感ずる。女性の社会的立場の後進性も、古い権威の残滓が影響していることは明白だと思う。コロナ禍の影響もあり、デジタル庁設立に向けた努力もなされているが、クラウド技術の長所短所を深く理解した上で、国民全員から信頼され安心して利用されるような開かれたシステムを構築できるのか、民主主義の本質を理解した上で対応してほしいと願う。古い権威が残っている社会からは、新しい発想の科学的知見が生まれにくく、科学技術の分野においても、日本社会の今後はきびしいと危惧される。

 民主主義は、個人主義であり、自己責任や成果主義を基本理念とするという受け止め方は浅薄だと思う。人類や地球の歴史を踏まえ、一人ひとりが社会全体のことに目配りし、自己の感性や才能をいかに活かすかが問われる社会だということを忘れてはならない。

 

8.人間の謙虚さの担保

 最後に、人間同志や地球上の生物との連帯をどのように確かなものにするかということである。このことは平和で安全な世界を構築する基盤ともなる。人間の客観能力は優れたものであることは、アインシュタインのような人を見れば明らかである。しかし、一人ひとりの客観能力には限界があるし、全てを客観できるものでは決してない。やはり宇宙を含めて全てを創造した絶対の神のような存在を認め、それによって人間としての謙虚さを維持していくことが必要不可欠ではないだろうか。特定の宗教理念に依存することなく、特定の権威を立てることなく、なるべく広い範囲での自由と平和を実現していく努力をしていく必要があると感ずる。

 


「負けること勝つこと(105)」 浅田 和幸

「問われている絵画(140)-絵画への接近60-」 薗部 雄作

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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