浅田さんの論文=日本の社会では、女性を蔑視するような発言が繰り返されてきました。そして、今回は、日本の女性の立場が世界の国々のなかでも、際立って低いことに世界的な注目を集めることになってしまいました。このことは、日本の封建主義的な権威主義の残滓がいかに強く残っているかを物語っていると思います。民主主義の根本的な人間理解が、ほとんど浸透していないようにも感じます。政治を担っている人々においてすら、こういう現実がある訳ですから、一般の人々においておや、ということになると思います。
経済成長の熱狂は、コロナ禍でかなり下火になっているようですが、科学技術の進歩の方は、確実に早まっており、その競争は激化の一途をたどっていると感じます。プラスチック廃棄物の汚染が深刻化しているのは一例に過ぎませんが、人間の「やめられない、とまらない」欲望に、いつどのように歯止めをかけるのか、きびしい局面に立たされていると感じます。
社会主義について、わたしは、競争や格差を否定的に捉えているように思います。しかし、科学や民主主義の時代でのそうした姿勢は、結果的に、政治体制がエリート層を中心にした権威主義に陥らざるをえないのではないかと危惧しています。一人ひとりの多様な人間性を、いかにして健全に活かしていくかという視点が大切ではないかと思います。日本の社会は、そうした社会に転換できるかの瀬戸際に立たされているように思います。もし、うまくできないと日本の将来は、かなりくらいのではないかと心配しています。
薗部さん=人間の頭脳は、膨大な数の脳神経細胞が複雑なネットワークを作って機能していることは、近年の脳科学が明らかにしています。人間は、視覚や聴覚などの五感を通して得られた情報を、頭脳のなかでさらに加工し、それらを言葉や絵画を通して表現するという能力をもっているようです。その加工法や表現法は、頭脳の構造からみれば、おそらく無限のやり方の可能性があるのだと思います。そのうち、人間社会のなかで注目されるのは、天才と評価されるごく一部の人たちのものにすぎません。しかし、すべての人の頭脳に、全くオリジナルの表現を生み出す可能性があることは否定する根拠がないと思います。既存の表現からどのような影響をどの程度受け、どのようなオリジナリティーを追加するかが問われるのでしょう。多くの影響を受けすぎるとオリジナリティーが減少し、既存の影響が少ないと芸術性を高めるのが困難になるのかもしれません。いままで誰も見たことのなかった世界に到達できるのは、どういうときなのか、全くの偶然なのか、興味深く感じます。アインシュタインの独創性は、その一例だと思います。
最後の「制作者各自が、セザンヌのいう「趣味」…に徹して描くことができるならば、そこにはまた、きわめて異なる表現が…むしろ多様で豊かな表現世界がくり広げられるのではないかと思うからである。」というご指摘は、そういう人間の限りない可能性の世界を示唆しているように思います。人それぞれの頭脳の無限の多様性を解放できるような時代がいつか来るのか、ややわくわくもします。
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