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ゴーギャン 戯画的自画像 1889
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ペリュショには『芸術と運命』と題された一連の画家についての伝記の著作がある。そこにはセザンヌの他にゴーガン、ゴッホ、ロートレック、マネ、ルノアールなどがある。それらの著作についてペリュショは言う「一つの意図が、すでに何冊かでている『芸術と運命』シリーズの続編を私に書かせたのだが、その意図に忠実な私には、真実を探る、というただ一つの関心しかない。要する私の目指すことは、批判することではなくて、理解し、理解させること、つまり私に可能な限り一人の人間の精神の内部に入り込み、その行為の動機をつかみ、その人間を蘇らせることである」と。そして「この人間とは一体何か?それを、私が書いた伝記の一冊一冊が答えようとしているのは、じつに、こうした質問に対してなのだ」といっている。「この質問は複雑である。ポール・ゴーガンの場合には、とくに複雑である」そして「かれについて私が明確に知るようになればなるほど、かれが真の姿を認められない人間……見知らぬ人間である、という私の確信は、ますます強く確認されていった」と。
そのゴーギャンについて今回は触れたいと思う。
わたしは若い頃から印象派の画家たち…モネやルノアールやセザンヌそしてゴッホなどには特別に抵抗感というものはなく、それらの作品には比較的スムースに入ってゆけた。しかしゴーギャンに対してはそうではなかった。とくに不可解というわけではないが、何か簡単に絵のなかに入ってゆけないものがあった。それが何であるのか、よくわからなかったが、感覚だけでは作品に入ってゆけない何かがあったのだ。たぶん今まで親しんでいた印象派の画家たち…モネやセザンヌやピサロやゴッホなどの西洋的な美意識や感覚とは何か異なるものがあって、それがまず眼をとらえるのだった。だから、しばしば雑誌や画集などで眼にしていても、とくべつに親しむということはなかった。その世界に何とか入ってゆけるようになったのはかなり後になってからであった。
五十才を過ぎてからであった。わたしはギリシャやエジプト、そして西洋を旅行するという機会があった。それは学生たちに同行するという仕事であったが、約一ヶ月をかけて各地の主な美術館を見てまわるというものであった。ローマを起点としてギリシャからエジプトへ、そしてスペインのバルセロナとマドリードを経過してイギリスへ行き、ロンドンのナショナル・ギャラリーやテイト・ギャラリーを見た。このときテイト・ギャラリーで膨大なターナーの作品を見て、ターナーに対する考えが一変したのであった。そのときの印象は、かつて「深層の嵐」というタイトルで書いた。それまでに知っていた比較的おだやかなターナーとは違って、きわめて激しいものを感じたのであった。イギリスからは船でフランスへ渡り、そこからはバスでヨーロッパをおおまかに一周し、またローマにもどるという旅であった。その途中パリに数日間滞在するのであったが、そのときたまたまグランパレでゴーギャン展が開かれていたのを街頭のポスターで知った。そしてさっそくその会場に行ったのであった。かなり緻密に集められた展覧会で彼の主要な作品はほとんど展示されていた。
その時の印象を、たとえば「グランパレで開かれていたゴーギャン展は、それを見ようとする人の行列の長さにも驚いたが、なかにはいると、綿密に集められた初期から晩年に至までの、作品の充実ぶりにはさらに驚いたのであった」と書いた。そして「なかでも特にわたしの眼を引きつけたのは彼の初期の作品であった」と。それまでにも、雑誌や画集などでは見ていたので、ある程度は知っているつもりでいたのだ。しかし、じかに見る本物の作品は、印刷とはまるで違うのであった。作品のサイズも大きいし、なによりも色彩が段違いに美しいのだ。そして、初期の作品とはいっても一種の完成度があるのだ。初期の作品がこれほど完成度のあるものとは思ってもいなかったのだ。もちろんそこに、初心者のたどたどしさがまったくないわけではない。しかしそれよりも、初心な制作者の、対象に向かう真摯で誠実な心情が手に取るように感じられるのであった。

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ゴーギャン パレットを持つ自画像 1893
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