日本社会への民主主義の浸透というテーマに関して、権威主義と民主主義のそれぞれの獲得の経緯と特徴、権威主義と民主主義の関係性、そして、日本社会の民主化の経緯と今後の対応という論点から以下述べる。
1.権威主義の獲得とその特徴
私たち人間は数千人数万人の人達からなる国家のような大規模な集団を形成し、秩序ある安定した社会運営を行うことができる。その背景には、ひとつの特定の権威を立て、その権威のもつ世界観や価値観を全員が共有できることがある。人間は、道具を作り、火を使い、言葉を操るなどし、大脳を拡張させてきたが、一つの権威を共有し、大規模な安定した集団を作ることができたというのは画期的なことである。農業のような集団による食糧生産を可能としたのも、こうした権威に基づく安定した集団を構成できたためだと思う。貨幣の発明も権威を擁立できたことの一環であろう。他の生き物が、小規模な集団にとどまり、縄張りのような棲み分けに甘んじたことに比較すると興味深い。
権威は政治的な面と宗教的な面の二面性を持つことが多いようであり、それらは、国王、皇帝、将軍、法王、教皇、天皇などと呼ばれた。権威は、例えば、自然災害に備えるため大勢の人々を動員し工事作業に就かせたり、社会の流通物の標準化を通して経済活動の効率化を図ったり、治安維持のための警察や刑罰の仕組みを設けたり、権威の威厳を高めるために儀式やご用学問などのさまざまな文化や教養の涵養に努めたりした。身分制度、階級制度、奴隷制度、家父長制度などの社会制度は、社会の秩序と安定に大きな役割を果たし、一般的に、権威に近いほど強い権限を有するといった上下関係も規定した。権威主義は、人々が勝手な好奇心を抱くことを抑圧し、新しい思想や発明の登場を抑止する傾向をもった。また、個人の都合よりも集団としての在り方を重視し、個人に犠牲を強いることも当然視された。権威主義は、ホモサピエンスとしての私たち人間の長い歴史の大部分の統治スタイルを形成している。今日にいたっても大きな存在感を示していることは周知の通りである。
2.民主主義の獲得とその特徴
今日、民主主義と呼ばれている社会制度は、ヨーロッパ中世においてキリスト教教義を世界の普遍宗教に脱皮させるべく理論武装の深化を進めていた過程で生まれたと言ってよいと思う。この過程は、プラトンやアリストテレスの古代ギリシャ哲学、ユークリッド幾何学などのそれまでの学問体系を総動員して行われたが、こうした努力の結果、価値論や意味論を根底とするキリスト教教義を論理的に解明することは不可能なことが悟られた。その代償として、自然界の現象世界を客観的な因果法則として理解する科学の視点が獲得され、そして、同じ視点が人間社会の在り方に向けられたとき、すべての人が自由で平等であるという認識、すなわち民主主義の思想が切り開かれたのであった。こうした過程の伏線として、ルネサンスにおける権威にとらわれない人間中心主義の傾向、宗教改革における信仰義認論 (人間が義とされるのは、免罪符の購入といった外的な行為ではなく、一人ひとりの内面の信仰の在り方によるという説。) なども注目されるべきであろう。こうした既存の権威の根拠とするものへの異議申し立てが、王権を追放するフランス革命や王権を制限しより強い権限をもつ議会制度などの登場をもたらした。そして、同じ時期に、ヨーロッパ人が見いだした新大陸アメリカに、大勢の人々が徒手空拳で移住するようになり、彼らは民主主義の国家運営を掲げざるを得なかった。それは、メイフラワー号で渡った清教徒たちの信仰心からも大きな影響を受けたようである。
価値観や意味論にとらわれない視点の獲得は、権威主義からの脱却をもたらし、その結果として、欧米諸国の人々は、科学と民主主義を獲得したことになった。それは、従来の権威主義によって統治された国々に対して、工業生産力や軍事力で圧倒的優位性をもつことを意味した。そして、欧米諸国は、世界中に、植民地獲得や帝国主義的軍事力の行使に動き出した。アメリカにおいても産業競争力は急速に発展し、大量生産技術の進化とともに自動車や鉄道の急速な普及が進んだ。
3.権威主義と民主主義についての考察
A 権威主義から民主主義への移行は必然なのか
一人ひとりの多様な個を尊重するという視点の獲得は、人類史上、画期的なものである。それは、人類の歴史過程のなかにおける人間意識の覚醒の一ステップのようなものであり、必然的なもののようにさえ感じられる。パンドラの箱を開けたのであり、不可逆的なものだと思う。社会の強い不安やパニックのなかで、一時的に権威主義に戻ることがあったとしても、民主主義を知ってしまったひと達は、権威主義にとどまることはできないだろう。当面の自分のやりたいことはできたとしても、いつ、その先に行ってはいけないと一方的に制止されるかわからないという状況に人は耐えられない。なぜいけないのか、開かれた場での議論があれば状況を理解し、ある程度、納得することはできるであろう。
B 民主主義は社会の秩序と安定を担保するのか
権威主義のもとでは、社会全体の秩序と安定に責任を負うのは権威の主体である。それに対して、民主主義では全体に対する責任の所在は明らかではない。これは「ワンフォーオール、オールフォワン」の実践で乗り切るしかない。とはいえ、一人が見れるオールは、決して正確でもオールでもない。従って、これを多数重ね合わせることに意味があり、こうした重ね合わせを健全に効率的に行える体制を維持することが民主主義においては鍵になる。権威主義における権威も正確に社会全体がみえている保証がある訳ではない。そして、科学技術の進展によって社会の複雑さはますます深まっている中、閉鎖的権威主義は危うさが高く、民主主義に基づく合議的な進め方の方が理にかなっていると考えられる。さらに、人工知能や量子コンピュータの活用ということも考えられるが、その適切な活用は、民主主義の社会であったこそ可能であると思われる。
C 権威主義と科学技術について
科学と民主主義とは同じ視点を背景として生まれた。科学は自然界の現象を、その意味や価値を問うことなく、あるがままに定性的定量的に理解するという態度から獲得された。こうした態度は、権威主義のもとでは、その権威に対して客観的な根拠を問うことになる。従って、本来、権威主義の体制下では科学の成立は不可能と言わなくてはならない。一方、今日の世界においては、権威主義の国家においても科学技術の研究はさかんに行われている。しかし、それは、権威の都合に基づいて行われているのであり、自由な好奇心に基づくものとはいえない。一人ひとりの自由と個性を尊重しない権威主義の社会では、科学といえども探究に制約がかかる可能性は否定できず、いびつなものにならざるをえない。いびつな研究開発から生み出される科学技術の成果は、ある意味で恐ろしいものになる可能性があると言わなくてはならないだろう。
D 権威主義と民主主義は平和裡に共存できるか
地球上に、権威主義体制と民主主義体制とが共存していくことは、その価値観の基本的相違に起因してかなり厳しいだろう。民主主義体制の中でも、人々の不平不満を放置すると、権威主義に同調する人々が台頭してくる可能性が高まる。従って、適切なフィードバックが大切である。一方、権威主義体制では、その閉鎖性ゆえに、適切なフィードバックがかかる保証はなく、一つの体制が永久に続くことはありえないだろう。民主主義体制の国としては、是々非々で臨むなかで、必然の流れとしての民主主義の思想の浸透を見据えながら、民主主義体制への堅実な移行を見守り支援するという在り方しかないのではないだろうか。
4.日本社会の民主主義の展望
A 日本社会の民主化への変遷過程
江戸時代の末期、黒船来航やアヘン戦争の惨禍を見聞した日本は、西欧列強の脅威を実感するなかで、尊皇攘夷といった思い込みから脱し、倒幕、開国、明治政府の樹立といった転換を行い、富国強兵、殖産興業の路線をひた走った。西欧列強のすさまじい軍事力や経済力の背景には、民主主義やキリスト教精神のようなものの存在を感じ取りながらも、とりあえず中央集権体制のもとでの科学技術力や工業生産力の発展を最重要目標に掲げた。
近代的憲法、議会制度、官僚制度などの充実を推進し、それは、元老院をもつ藩閥体制、政党政治、軍部主導体制へと時代とともに変質していった。この過程には、濱口雄幸内閣への統帥権干犯問題といった政党同志の足の引っ張りあいがあったり、第一次世界大戦の余波、世界大恐慌、関東大震災などの激動する社会情勢があった。こうした中で、中国東北部の旧満州国に強大な産業経済圏を構築し、現人神・天皇を権威とする大東亜共栄圏を樹立し、英米諸国との世界最終戦争を決するといった石原莞爾という人の思想のようなものがあった。こうした思想は、日本のアカデミアにおいても同調するものがあったようである。国民にも浸透していた天皇を権威とする社会を維持していくという立場からは、米国との太平洋戦争への突入は、ドイツのナチスと同様、権威主義と民主主義の激突という世界観の相違に起因して避けては通れない道であったとも考えられる。
日本は、日中・太平洋戦争による相手国も含む膨大な数の戦死者の犠牲の上に、占領軍GHQの主導により、先端的民主主義への転換に到達したという理解もありうると感ずる。日本の社会には、西欧文明の根底にある民主主義、科学的ものの見方といったものへの敬意をある程度もっていたし、それは大正デモクラシーや大正生命主義といった思想にも垣間見ることができるように思う。従って、戦後の日本社会においては、先端的な民主主義の考え方を歓迎する土台があったのではないだろうか。
戦後、最先端の民主主義の憲法を戴いた日本であったが、その理念の浸透は充分ではなく、むしろ一致団結して経済大国への道をひた走ることに集中した。半導体、家電製品、自動車など、需要の方向性のはっきりしていた時代を爆走し、「ジャパンアズナンバーワン」などのフレーズに踊らされたが、バブル崩壊やGAFAの台頭するデジタル技術の主導する社会へ変質するなかで、かつての輝きを失っていったようである。
今の日本の社会は、戦前のような権威主義でもなく、かといって洗練された民主主義でもなく、中途半端な立ち位置のなかで、方向感覚を失っているかのようである。先端的民主主義の理念の憲法を戴く社会として、今こそ、民主主義の理念の浸透を徹底して進め、多様な個性を存分に活かす社会に明確に転換することが要請されているように思える。
B これからの日本社会が取り組むべき課題案
⑴安全保障
今日のような権威主義国家と民主主義国家とが入り乱れ、環境や金融などの地球規模の課題が山積する状況のなかで、軍事、食糧、産業経済、感染症、エネルギーなどに関する安全保障をいかに実現していくかは、正面から取り組むべき課題である。軍事面については、平和主義、戦争放棄といった日本国憲法の理念も踏まえ、同盟関係の構築、日米地位協定や集団的自衛権の位置づけ、軍事技術の研究開発、外交や文化交流の位置づけ、産業経済競争力や科学技術立国の在り方、等についての開かれた叡知を集めた戦略構築が必要不可欠である。学術会議の会員任命にあたっての政府の隠蔽体質が最近問われているが、学術会議としても、こうした国家の存亡にかかわるような課題について、アカデミアとして開かれた複数の見解を表明するなどといった私たちに身近な存在としての対応が求められているように思われる。
⑵個の尊重という理念の浸透
民主主義の基本理念である個の尊重という価値観を、社会全体に浸透させていく工夫が大切だと思う。具体的には次のような提案をしたい。
a)公共の場において、不特定多数の相手に対して弱者扱いするような言動はするべきではない。公共放送や電車のなかなどで、相手を子供扱いするようなことを、相手への親切だと思ってなされることがある。これは、対等意識を逸脱するものであり、公共の場ではなされるべきではない。NHKのアナウンサーが、子供相手にするような注意を述べているのを聞くと、民主主義が分かっていないのではないかと思う。
b)教育の場では、講義のようなものは基本的に録画でよいと思う。寺子屋方式というかチューター制度というか、分からないことや困ったことがあれば、個別に相談にのる専門員がいればよいだろう。またブラック部活のような在り方にも正面から取り組むべきだろう。人間の多様性についての理解を深め、個性が確実に尊重される方向に転換していくべきだと思う。子供から大人への自立の過程は、人それぞれ多様であるが、どんな子供であっても、個の尊厳を踏まえた対応が基本にあるような社会になるべきだろう。
c)セーフティネットは個人を対象にし、その人の状況に応じて柔軟になされるべきだろう。現在の、支援してもらえる家族がいないか確認するような生活保護制度は個の尊重にそぐわない。従来の世帯主義からの脱却を図るべきだと思う。夫婦別姓についても根本は同じ課題だと思う。
d)企業組織のなかでの働き方についても、個の尊重の理念が浸透するべきだと思う。組織には権威主義的意識が入り込む余地が多いことは否定できないが、マッチング理論なども駆使した社会の労働流動性を格段に高めていく工夫がなされていくべきだと思う。
⑶行政体質の脱却
行政の体質は、戦後70年以上たった今日においても、戦前の天皇の輔弼意識から抜けきれていない。官僚組織などと呼ばれ、隠蔽体質、お上意識などが残存している。国民の側の意識にも課題がありそうである。行政組織は、情報シンクタンクでもあり、人材の集め方も開かれたものとし、旧帝大の学閥が幅を利かせるような体質を払拭していく工夫が必要だろう。同時に、政治家の体質も、女性を含めて民主主義の理念を充分理解したひとたちに転換していく工夫がなされるべきだろう。DXの浸透とともに、個人情報の管理や公文書管理などについては、相互チェックが充分機能するような仕組みにするべきだと思う。
⑷難民、移民の受け入れ体制
日本は海外からの移民や難民に対して、きびしく門を閉ざす傾向が強かった。これからの時代はそれではやっていけなくなるだろう。多様なバックグラウンドをもつひと達を、柔軟に効果的に社会に迎え入れることができる仕組みを社会全体として構築することが必要になっている。多様な個性を活かす社会を作る一環としてでも、そうした仕組みの構築を急ぐべきだろう。
⑸民主主義の旗振り役としての日本
日本は、科学と民主主義を見いだした欧米諸国とは異なる文明のもとに近代化をなし遂げたはじめの国という立場をになっている。民主主義の導入にあたっては、相当の紆余曲折があり、また、その世界観や人間観の理解については、いまだにその途上にあることは否定できない。とはいえ、明治政府の発した「五箇条の御誓文」の「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とか、聖徳太子の十七条憲法の冒頭に掲げた「和をもって貴しとなす」といった精神は、民主主義の社会においても通用する伝統のように思える。
これからの世界に民主主義を広め高めていくという旗印を掲げることによって、日本は国際社会のSDGsに貢献していくという志を明示すべきではないだろうか。
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