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第152号

2021年10月7日

「負けること勝つこと(108)」 浅田 和幸

 

 

 前号でマルクスとの出会いについて書いてきました。今号でもその続きを書こうと思っていますが、その枕として、最近、SNSなどで話題になっています「親ガチャ」を取り上げてみたいと思います。この「親ガチャ」ですが、2つの言葉が合体して出来上がった造語になります。

 1つは「親」、もう1 つは「ガチャガチャ」を合体させたものです。この「ガチャガチャ」とは通称で、正式にはカプセルトイ。小型自動販売機の一種で、硬貨を入れレバーを回すとカプセル入りの玩具などが出てくるものを指しています。

 この2つのものが合わさって生まれた「親ガチャ」とは、子どもは親を選べない。その結果、生まれた親の職業や経済力等によって、子どもの人生が大きく変化することを意味しているようです。

 確かに、「ガチャガチャ」は、硬貨を入れてレバーを押しても、自分が欲しいものが出て来るとは限りません。全く、興味のないおもちゃやフィギアが出てくることも珍しくはありません。つまり、自分の意思ではなく、偶然に支配される確率が高いということです。

 そういう風に考えて見ると、生まれてくる子どもたちも自分の親を選ぶことは出来ません。とんでもない金持ちの親に生まれてくる場合もあれば、我が子を虐待して殺してしまう恐ろしい親に生まれてくる可能性もあるのです。

 この自分の意思とは無関係に偶然に支配されるという点では、「親」と「ガチャガチャ」は似ていますが、何故、現在そういう造語が生まれ、SNSで話題になっているかということに、わたしは注目しています。

 さて、子どもにとってみると「親ガチャ」という言葉にリアリティがありますが、親にとってみると「子ガチャ」という言葉の方にリアリティを感じています。

 子どもが親を選べないように親も子どもを選べません。それ故、立派な大人になって欲しいと手塩にかけて育てたはずが、全く期待を裏切り、犯罪者となり、親を苦しめるといった場合も出てくるのです。

 わたしはかつて、「子宝」と言う言葉に対して、この宝はプラスの財産となるか、マイナスの財産となるか、子どもが育ってみないことには分からないと、子どもが生まれたばかりの後輩に言って、顰蹙を買ったことがありました。

 しかし、現実を客観的に見ると、土地や建物といった不動産が、かつてのように財産として評価されるより、それがある場所によっては、マイナスの「負動産」として、厄介者扱いをされるケースも見受けられると同様に、子宝と言う財産も、親にとっての厄介者になる場合もあるように思えます。

 ただ、こういう評価の二面性は、現代になって急に生じたものではなく、以前から潜在的に存在していたものであったのに、何故、ここへ来て注目されるようになったのかということに、わたしとしては興味があります。

 これは、現在の日本に蔓延している閉塞感に起因している社会の傾向ではないでしょうか。この閉塞感は、自分自身の力では、どうにも出来ないものとして認識されています。つまり、この閉塞感を自分が生まれる前より聳えている壁として感じている人が多くなっているのではないでしょうか。

 1 つの例として、わたしが20代の頃の自民党の有力な政治家を上げて見たいと思います。当時は、「三角大福」という言葉がマスコミに喧伝されていました。

 これは、当時の自民党の有力な政治家たちで、首相候補として名前が挙がっていた政治家たちです。佐藤栄作首相の長期政権が終わりを迎え、60年台初頭より続いた高度経済成長も成長率に陰りが見え始めた70年代初頭。この4 人の政治家が次期首相候補としてクローズアップされていました。

 「三」は三木武夫、「角」は田中角栄、「大」は大平正芳、「福」は福田赳夫でした。この4 人の政治家は、いずれも最終的に首相となりましたが、彼らの内誰1 人、世襲政治家はいませんでした。

 親とは違う「政治家」という職業を選び、日本の総理大臣へと昇り詰めた4 人の政治家が、現代に生きていたら多分、随分と驚いたことと思われます。

 それは、この9 月29日に決定される自民党の総裁候補の4 人の内、3 人までが、親あるいは祖父が政治家だったという世襲候補だからです。更に言えば、今回は立候補を断念した石破茂氏も、世襲候補の1 人ということで、正直なところ、親が国会議員でないことには、その子どもは国会議員にはなりにくいといった世襲制が確立しているのです。

 この現状を冷静に眺めると、「親ガチャ」という言葉が指し示す日本社会の在り様は、決して空想的なものではなく、若い世代にとっては、切実な現実であることが理解できます。

 この政治家の世襲制を、新たな身分制度と評価して良いかは分かりませんが、もし、現代に福沢諭吉が甦ったなら、彼は、この現状を「親の仇」と称する可能性をわたしは感じています。

 福沢諭吉が生きていた徳川幕府の末期の頃、それまで長く続いた幕藩体制は、制度として硬直化していました。そして、西欧列強が軍事力を背景にして、貿易を求めて来る外部環境の変化に、対応できない矛盾を抱えていることが、当時のインテリたちには見えていたのでした。

 その1 つのスローガンが、福沢諭吉の「身分制度は親の仇」というものでした。武士階級に生まれなくては、また、仮に武士階級に生まれたとしても、藩の中で身分が上位でなかったなら、藩の政治にも参加できないという硬直した身分制度の下では、外部環境の大きな変化の前では日本が独立した国家として生き残ってはいけないという危機意識から、彼は上記のような過激な言葉を訴えたのでした。

 そして、徳川幕藩体制を倒し、天皇を中心とした明治政府が新たに生み出される中で、これまで中級、下級武士として、各藩内において権力を持っていなかった若い世代の人間が、明治政府の要職に就くという改革が実行されたのでした。

 しかし、この明治維新によって生まれた新しい政府も、明治、大正、昭和と続く中で、次第に形骸化すると共に、既得権を有した人たちによる支配が強化され、制度が硬直化していく中で、無謀な対外戦争が実施され、最終的には、アメリカ合衆国により、完膚なきまでに打ちのめされたのでした。

 ポツダム宣言を受諾した日本は、無条件降伏ということで、それまで政府の要職を務めていた人たちが、アメリカ占領軍による「公職追放」で政治の中心から追われることになりました。

 そこで、新しい日本を任されたのが、戦前において中級や下級であった官僚や社員たちでした。それまでの制度の下であったなら、中枢に到達するためには、相当の時間と忍従が必要であった彼らは、一夜にしてトップに君臨することになったのでした。

 戦後の日本のサラリーマンの生態をテーマに数多くの小説を書いた源氏鶏太氏の作品に「3等重役」があります。これは、公職追放等により、それまで企業のトップに君臨していたエリートたちが会社から一掃され、それまでは大した役職にも就けなかった主人公が、一夜にして重役となり、会社の経営に携わったことを評して、幾分自分を卑下した言い方で「3等重役」と呼んだことがタイトルとなっています。

 しかし、こういった千載一遇のチャンスは、短い期間で終わることとなりました。ソ連とアメリカとの間での冷たい戦争「冷戦」の激化、中国大陸で中国共産党が政権を奪取、朝鮮半島でのソ連の支援を受けての金日成による朝鮮戦争といった一連の事件により、日本を占領したアメリカはそれまでの開放路線を急停止させると共に、「レッドパージ」による社会主義者や共産主義者を公職から追放することで、再び復帰した戦前の権力者たちは、日本の政治・経済を牛耳ることとなったのでした。

 安倍元首相の祖父、岸信介は、戦争犯罪人として巣鴨プリズンに収監され、東京裁判で有罪判決を受けながら、「レットパージ」などによるアメリカの急速な右傾化をバネにして、総理大臣にまで上り詰めたように、東西冷戦を境にして、日本社会は、再び、権威主義的な社会へと逆戻りし始めたのでした。

 ただ、一時でも、自由で闊達な人々、特に若い世代を中心にした思考や行動が与えたインパクトは大きく、その後、日本が高度経済成長へと進んで行く時の、大きな推進力になったことは事実です。

 (戦後の新しい動きは、政治では世襲制でない政治家を生み出し、経済では、ホンダやソニーといった世界をリードする製品を生み出した世襲でない経営者たちを生み出しました。)

 しかし、日本が高度経済成長を果たし、世界の経済大国の1つとして脚光を浴びる中で、次第に、戦後に生まれた自由で闊達な雰囲気は失われて行きました。

 企業も、新しい製品を生み出すという冒険に着手するよりも、それまでに蓄積した富やブランドを守るといった保守的な姿勢へと舵を切ることになったのでした。

 その結果、ユニークさや新奇性といったものよりも、手堅く見慣れたものを優先することで、新たに採用する社員たちも、冒険を好む者よりも、学校での成績が優秀で、則を超えない常識的な若者が喜ばれるようになったのでした。

 80年代の日本企業は、大学を選別する意味で「指定校制度」という制度を設け、大企業にあっては、ある特定の大学の学生しか、入社試験を受験できないといった枠組みが生み出されました。その結果、特定の優秀な大学に入学するための受験競争は過熱し、「受験地獄」などといった言葉も生まれたのでした。

 こういった社会の固定化は、高度経済成長が鈍化し、既得権を有した企業や団体、更には個人の力が恒久化していくことで、社会に格差を拡大して行ったのでした。

 特に、バブル経済が崩壊し、それまでの「護送船団方式」と言われた国家が企業や団体や個人を守るといった制度が骨抜きとなり、公助ではなく自助が求められる新自由主義が支配的な社会において、それまで戦後の日本社会が様々な分野において育てて来た「中間層」を破壊したのでした。

 わたしは、この新自由主義と言う考え方を日本政府が受け入れた背景には、東西冷戦体制が崩壊するきっかけとなったソビエト連邦の崩壊があったと考えています。戦後に生まれたわたしにとって、アメリカとソ連の東西対立を基軸とした世界は自明のものでした。

 60年代に世界的に大ヒットを飛ばした映画「007 」のストーリーの前提となる東西冷戦は、未来永劫に渡って継続していくものだとわたしは信じ込んでいました。そして、それは決してわたしの個人的な感想ではなく、当時を生きていたほとんどの日本人にとっても自明のことだったように思います。

 1 つの例として、わたしが入学した立命館大学の経済学部(わたしの入学した学部は産業社会学部でした。)の科目の中に、「社会主義計画経済論」という科目を見つけて不思議な気分を覚えたものです。

 この科目を受講すると、社会主義国家で行われている計画経済を学ぶことが出来るわけですが、正直なところ、これを学んだからといって、卒業後に就職した企業で役に立つとは経済学に疎いわたしでも考えられませんでした。

 これは、当時の日本の大学の経済学部に、マルクス経済学と近代経済学の2つの流れがあり、立命館大学の経済学部ではマルクス経済学が主流であったことに起因していました。

 つまり、わたしが大学に入学した当時、日本の将来において、こういったマルクス経済学を中心とした経済理論が役に立つ、あるいは更なる発展が見込まれるといった思想が存在していたということでした。

 しかし、それから20年余り経過した1991年に、ソビエト連邦は崩壊し、東西冷戦構造も崩壊することとなりました。その時、わたしたちは、資本主義が社会主義に勝利した現実を目の前にすることになったのです。

 未来永劫に渡り続くと思っていた東西冷戦構造の崩壊により、わたしたちは、資本主義経済の方が社会主義経済より優秀であり、人類を幸福にしていくシステムであることを認めることになったのでした。

 更に、追い打ちを掛けるように、中国共産党も「市場開放」路線を宣言し、政治体制はそのままにして、経済体制を資本主義にするという改革へと舵を切ったのでした。

 この段階で、従来のような社会主義経済を標榜する国家はごく一部となり、世界の大勢は資本主義経済体制へと雪崩を打ったのでした。そして、資本主義経済の優位さが喧伝されると同時に、社会主義経済体制は劣った時代遅れのものとして、わたしたちの意識の中で切り捨てられることになったのでした。

 しかし、30年後の現在から改めて振り返ってみると、そういった短絡的な評価による社会主義経済の切り捨ては、その後のわたしたち日本人の生活を厳しいものに変化させてきたことにわたしは気づいています。

 つまり、わたしを含め多くの日本人は、歴史の歩みを見ることなく、短絡的なレッテル貼りにより、その後生ずることとなる資本主義経済の矛盾と冷酷さを見逃してしまったのでした。

 19世紀から20世紀に掛けての労働環境の改善は目覚ましいものがありました。それまでの1日10数時間の労働時間が、8時間と短くなり、子どもの就学を義務化することで、子どもの労働が禁止されるなど、様々な労働環境の改善が行われたのでした。

 この労働環境の改善の背後にあったものは、初期資本主義経済システムの持つ非人間性を厳しく糾弾し、その是正に向けての様々な仕組みを提案した思想家たちでした。エンゲルスの著書では、「空想的社会主義者」として、低い評価しか与えられていない、フーリエやプルードンといった思想家は、資本主義の矛盾を暴き、労働者が人間らしく生きるための社会運動の理論的支柱となっていたのでした。

 その結果、それまで一方的に収奪されるだけだった労働者たちは、団結し、闘争を開始し、自らの劣悪な労働環境を改善するために立ち上がったのでした。その1つの結果が、1918年のロシア革命であり、それがソビエト連邦を誕生させたのでした。

 このロシア革命は、2つの意味で、当時の支配者に対して衝撃を与えました。1 つは、巨大な権力を集中させて君臨していたロシア皇帝のツァーリズムを破壊する程に、労働者たちが結集したパワーが強大であったこと。2 つ目は、それが自国においても将来的に生ずるかも知れないという恐怖でした。

 その結果、日本においては、明治維新以降続いていた藩閥政治から脱却して政党政治へと舵を切り、選挙権も限定的では無く、男性であれば獲得できる普通選挙権制度へと移行していったのでした。

 ただ、急激な変化を恐れた支配者層は、共産主義を抑え込むために「治安維持法」を成立させ、この法律を拡大解釈し、執行していく事で、ロシア革命のような社会主義革命を阻止しようとしました。

 これは、日本だけでなく、世界全体に拡大して行き、労働者の権利を認める、社会保障を充実させるといった施策により、労働環境の改善が飛躍的に進むことになったのでした。

 そして、戦後の日本では、敗戦により荒廃した国土の復興が一段落し、日米安全保障条約の締結を巡り、国論が二分化され、革新政党による権力奪取の期待感が醸成される中、「所得倍増計画」という経済政策を旗印に、高度経済成長路線による、革命の機運の火消しが図られたのでした。

 この路線は、多くの日本人に受け入れられることになりました。それは、貧しかった人々が豊かになれる機会を与えてくれる政策として受け入れられたのでした。実際、それまで長屋に住んでいた人たちは、高度経済成長路線の果実として、小さいながらも我が家=マイホームを手に入れることが出来るようになったのでした。

 働けば、それに見合った報酬を手にすることが出来るということで、日本国民は、「エコノミック・アニマル」と揶揄される程に猛烈な働き方をして、暮らしを豊かにしていったのでした。更に、政府の方針として、そういった人たちが「中間層」を形成することで、反政府的な組織や運動を増長させることを防いでいたのでした。

 漸く手に入れた豊かな暮らしをこれから先も維持していきたいという「中間層」に属する人たちの欲求は、社会を安定させ、革命といった過激な行動を防ぐという上で、極めて有効な「社会的防衛手段」であったように思えます。

 ところが、ソビエト連邦が崩壊したことで、それまで恐れていた社会主義革命それ自身が、荒唐無稽で意味のないものへと一瞬にして変わったのでした。最早、ロシア革命のような労働者による暴力的な革命の途が絶たれてしまったのなら、労働者を守る施策は必要なくなるわけでした。

 残念なことに、当時を生きていたわたしたちは、この事実にほとんど気が付いてはいませんでした。ただ、自分たちが属していた資本主義経済が社会主義経済を駆逐し、更なる発展が期待できると晴れやかな心持ちを噛みしめていたのでした。

 それから30年。30年前にはごく少数で会った非正規労働者が増大し、正社員と呼ばれ、身分保障がされている正規労働者が激減している現状を目の当たりにしています。

 30年前には分厚く存在した「中間層」は、見る見る姿を消して、一部の豊かな階層と膨大な貧しい階層へと変化し、かつての「中間層」は、絶滅危惧種状態であるのが現状です。

 ただ、多くの日本人は、この30年間、生茹で状態のままに放置されてきた結果、自分たちがどんどん貧しくなっていったという現状に目を瞑ったまま生きているのです。

 そして、それに拍車を掛けるように、「自己責任論」が大手を振って唱えられ、非正規であるのも貧困であるのも、社会のせいではなく、自分のせいであるといった言説により、社会に抗議することすら憚られるといった空気が生み出されてきました。

 それが、この文章の初めに取り上げた「親ガチャ」という言葉に深く結びついているようにわたしには思えます。ただ、これもネガティーブな面だけをクローズアップする必要はないと思います。

 それは、漸く「自己責任論」という呪縛から脱却できる可能性を秘めているからです。自分が悪いのではなく、親のせいだという考え方から、もう一歩踏み出せは、違った地平線が見えてくるはずです。つまり、そういう「親」を生み出したのは、誰のせいであったのかということです。

 多分、彼、彼女にとっての祖父や祖母ということになります。そうやって責任追及を遡上していく中で、やがて出現してくるものは、わたしたちが生きているこの社会、この資本主義経済体制の社会であるということが見えてくるのではないでしょうか。

 ここが大切な所です。「自己責任論」に呪縛されている限り、悪いのは自分ということで、これ以上の発展も進歩もありません。それが、「親」「祖父母」まで遡及されれば、あともう一歩で、社会の矛盾や問題であることに気付けるのです。

 そうなれば、自分を卑下し、責めることから脱却できるのです。現在、アメリカの若者たちが、余りに巨大な富の格差を前にして、「社会主義者」を標榜するサンダース上院議員を大統領候補として支持している理由も同様の気づきからです。

 さて、この「自己責任論」から脱却する方法として、わたしはもう一度マルクスの思想を学ぶことが必要ではないかと考えて、前号からマルクスの思想と取り組むことにしました。今号では、少々遠回りをしましたが、次号からは再び、取り組んでいきたいと思います。(続)


「問われている絵画(143)-絵画への接近63-」 薗部 雄作

「近代民主主義の抱える課題」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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