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第152号

2021年10月7日

【編集あとがき】

 

 浅田さんの論文=いまの日本の社会は、閉鎖的で適度に安定していて茹で蛙的状況といえるように感じます。政治がというのか、国民全体がというのか、移民や外国人などの異質を拒み、均質指向の社会運営をひたすら追求している感じがします。

 こうした状況に風穴をあけるためには、異質を表面化したり、積極的に導入したりする明治維新のときのようなショック療法が必要なのかもしれません。

 最近、校則の見直しを進め、生徒の自律性を重んずる傾向が、中学生や高校生の間に広まっているとも聞きます。

 日本の社会では、格差の拡大は否定できませんが、海外の富豪と一般市民との間の格差ほどではなく、はっきりとはわかりませんが、社会主義の導入を是とするほどではないようにも感じます。

 いまの世界は激動の時代に向かいつつあり、大きな分岐点が近いうちに到来すると予想されています。家族のなかでの助け合いとか、いまだに過去の幻想にしがみつこうとしている保守的政治体制を打破することも重要になってきているのではないでしょうか。

 若い人たちが異質と積極的に折り合り、社会の在り方を根底から変えるような活動に取り組んでいくことに期待したい気持ちです。

 

 薗部さんの論文=「人間とは一体何か?」という問いは重いと思いますが、私たちの日常生活のなかでは、ほとんど省みられることはないと思います。日常には、世間話的な話題やスポーツ記事が溢れ、答えのないような問いが表面化することはめったにはないという感じです。

 ゴーギャンという人は、「人間とは一体何か?」という問いに全てをかけて向き合ったように感じます。そうした思いが株式取引の日常のなかで深まっていったということを興味深く感じます。

 禅の『臨済録』に「赤肉団上に一無位の真人あり、常に汝ら諸人の面門より出入す」という公案がありますが、人間には、なにか日常生活のなかに埋没したものと、その存在の根源に向き合いたいとするものとの二面性が同居しているようです。生命がまともに永続的に存在し続けていける背景には、こうした二面性のバランスが働いているようにも感じます。ゴーギャンはそういう状況を直視してみたかったのかもしれません。生命の存在とか、生命のつながりの範囲とか、宇宙という物的な存在とともに、なにか問わずにはいられないもののように思います。

 


「負けること勝つこと(108)」 浅田 和幸

「問われている絵画(143)-絵画への接近63-」 薗部 雄作

「近代民主主義の抱える課題」 深瀬 久敬

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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