今年は、日本がアメリカの真珠湾攻撃により、太平洋戦争が始まって80年と言う節目の年ということで、テレビなどで、新しく発掘された、発見された当時の資料などを基に、日米開戦を巡っての番組が制作され、放送されていました。
最近のマスコミの傾向としては、こういった節目の年ではないと、12月8日の日米開戦の日についての報道も、トピックスといった程度の扱いで、広島、長崎の原爆記念日や8月15日の敗戦の日のように、余り注目されることがありませんでした。
そういう意味で、80年の節目ということで、今年は、日米開戦が注目されていますが、わたしにとって、いや、日本人にとって、この194⒈年12月8日は、もっと重要な意味を持つものとして、注目されても良いように思っています。
そういった重要な日米開戦に関して、NHKが12月4日と5日に放送した「NHKスペシャル新・ドキュメント太平洋戦争『1941第1回開戦(前・後編)』の内容が非常に興味深いものでありました。
この放送を見ていらっしゃらない方に簡単にその内容を説明させていただきます。この番組では、前編において、「なぜ日本はアメリカとの戦争に突入したのか?」 開戦直前までの道程をエゴ・ドキュメントから繙くという手法を取っています。
そこで採用された方法が、市民の日記や学校の生徒たちの日記などを12万日分のエゴ・ドキュメントをAIが解析するというものでした。これは、上記の人たちの日記が、現在の日本社会において、ツイッターなどのSNS上で呟かれる様々な言葉と同様のものと仮定し、それをAIが分析しリサーチすることで、人々の意識や思考を明らかにして行こうという方法でした。
確かに、ツイッターなどのSNSが誕生する以前は、自分の気持ちや心境を言葉に綴るとするなら、日記と言う形が一般的でした。そして、それは戦前においても変わらなかったという前提に立ってのAIによる解析だったのでした。
後編については、同じように日記を解析して行きながら、真珠湾への奇襲攻撃が成功し、その後に、東南アジア各地で日本軍が華々しい戦果を上げていく中、日本人の意識がどのように変化していったかを分析しています。
さて、番組を視聴して、わたしは長年に渡り疑問に感じていたことへの答えが見つかったように思えました。それは、国力の差が恐ろしく違っていた戦前の日本とアメリカ。その違いを無視しての無謀な戦争が、何故、起きてしまったかという理由についてでした。
これまでの定説によると、満州に駐在していた満州軍が、東京の政治を無視し、謀略による戦争を引き起こし、満州国を樹立したことについて、全くおとがめなしと言う成功例を前例として、満州国に駐留していた関東軍の指揮官が、手柄を競い合って中国本土を侵略したことで、その軍人たちの暴走に引っ張られるように、最終的にはアメリカとの全面戦争を開始したというものでした。
そこでは、あくまでも陸軍を中心とした軍人たちの暴走のみにスポットが当てられ、日本国民は、その暴走の巻き添えを喰ったという分析が主流だったように思います。更に、戦争について一般の方たちが語る言説も、空襲による悲惨な被害状況や原爆による壊滅的な被害といったもの、または、敗戦後に生じた中国大陸での混乱により、多大な犠牲者が生み出されたといったように、どちらかと言えば、被害者体験が中心でした。
確かに、上記に述べたような悲惨な被害状況に、日本国民は直面しましたが、それを引き起こすことになった戦争についての責任となると、それは、軍人たちの暴走といった形で総括され、あくまでも国民は被害者であったという立ち位置に変化はなかったように思います。
しかし、わたしはそれがとても疑問だったのです。勿論、軍人たちの暴走が国家の方針を見誤まらせる原因となったことについては否定しませんが、そこだけに責任を押し付けて良いのだろうかといった思いを常に抱いて来たのでした。
その理由は、わたしの両親の戦争に関しての言説からです。わたしの両親は、父親が大正4年生まれ、母親は大正5年生まれで、開戦時には父親は職業軍人として中国で兵役についており、母親は、国内で戦争未亡人として企業に勤務していました。
ここでの重要な点は、開戦の当時をいくつの年齢で迎えたかという点にあると考えています。父親と母親の場合は、共に成人し、婚姻をするなど、十分に大人として開戦を迎えていました。つまり、その時点で人生に対する価値観や生き方が、ある程度完成されていたということです。
社会の大きな変化に対して、その流れをしっかりとつかみながら、大きな流れに逆らわずに生きていける知恵も持ち合わせていたのでした。そういう年齢の人間から見ると、急速に変わっていく社会をある程度俯瞰して眺められる余裕もあったことになります。
例えば、母親は国内でパーマが禁止になり、スカートをはく代わりにモンペをはくようにといった上からの命令があった際は、その命令に表面的には従いながら、その中でお洒落を工夫するといった余裕があったのでした。
これは、大人にとってある意味当然の反応でしたが、青少年にとっては、とてもそういった俯瞰的な見方は出来なかったことと思います。命令をそのまま信じ、実践していくことで、社会に適応していく中で、その価値観が刷り込まれ、絶対的な価値観として定着していったのでした。
しかし、大人であった母親は違っていました。確かに、上からの命令によりパーマやスカートといったお洒落が禁止され、表面的には身に着けないことで、命令に従ったように振る舞いながら、自分が望む自由さを手に入れようとしていたのでした。
そういう意味で、当時を生きていた大人の人たちは、国からの強制的な命令に仕方なく唯々諾々と従っていたというよりは、実は自ら望んで自主的に従おうとしていた実態が母親の回想などから伺い知れたのでした。
更に、コロナ禍でも起きた自粛に違反した人たちを告発するツイートや張り紙といったもので表現した『自粛警察』と同様に、当時においても、市井の人たちが、禁止を守らぬ人を告発するといったことが日常茶飯的に行われていたようです。
これは、決して軍人たちの暴走とそれを支持するマスコミの言説に騙され、踊らされ、本当はやりたくなかったのに無理やりさせられてしまったというような戦後の言い訳とは異なった事実が、その時の日本国内に遍在していたのではなかったかとわたしが疑う理由になっていたのでした。
そして、今回、この番組を視聴したことで、わたしの疑問は1つの結論を見出すことになりました。それは、当時の大多数の日本人が、軍人たちの暴走による侵略戦争を支持し、サポートしていたという事実でした。
そこで、もう一度番組の内容に戻り、詳しく分析していきたいと思います。まず、前編の中で解析されたのは、意外なことにアメリカ文化・・代表的なものとしてハリウッド映画といったものへの日本国民の憧憬でした。
満州事変以後、中国大陸での戦争が継続し、国内から兵士が徴兵により中国大陸へと出征していく中でも、一般市民の生活は、194⒈年の初頭に至るまで、それ程切迫したものでは無かったことが、日記の記述に伺われます。
実際に、映画館ではハリウッド映画が上映され、それを観賞する日本人の多くは、華やかなハリウッド映画の世界に憧れ、その夢物語を楽しんでいたのでした。
勿論、中国大陸での戦争による戦死者や戦病傷者は、自分の身近な人たちの間にも散見されてはいましたが、それにより日々の生活が大きく影響されることは少なく、影響を受けたのはその当事者が中心で、大部分の日本人にとって、戦争は遠い所で行われているものと感じられていたようでした。
その中で、ヨーロッパ戦線でのナチスドイツの破竹の勢いに乗じて、日本陸軍が、国民党の総統蒋介石への欧米からの補給ルートを遮断するという目的で、インドシナ半島へと兵を進めたことによる国際情勢への甘い見通しの結果、当時、日本の貿易相手国として最大の規模を誇るアメリカが、経済制裁を発動した辺りから、国内での物資不足が目立つようになっていました。
前年の1940年頃までは、軍需産業の活発化により、国内生産も増大し、景気は上向き、国民生活も戦前においては、一番豊かになっていた所からの物資不足は、多くの国民に不安を煽るものとして感じられたようです。
更に、中国大陸での戦争は、当初の希望的観測から大きく外れ、戦況は膠着状態に陥り、消耗戦といった様相を呈していました。この戦況は、多くの国民にとって意外な結果として受け取られていたようです。
それは、上海事変から始まった日中戦争は、南京を陥落させることで、蒋介石率いる国民党を完膚なきまでに叩き、降伏させることが出来ると考えられていたからでした。
ところが、南京が陥落しても、国民党は重慶へと拠点を移し、降伏するどころか、戦線が伸びた日本軍を分断させるゲリラ作戦により、徹底抗戦を続けていたのでした。
こういう膠着した戦況と物資不足により、多くの国民は、強い閉塞感を感じていたようでした。番組の中で紹介された日記においても、そういった社会の空気感に漠然とした不安や焦燥を覚える記載が散見されています。
しかし、この閉塞した状況を打開するために、なにをすれば良いのかといった選択肢の中に、中国との戦争を終結させるといった意見を所有する国民は少数派でした。
つまり、戦後に、わたしたちが教えられてきた、戦前の日本の軍事的暴走は、陸軍の一部による国力を無視した戦争への傾倒により、大多数の国民が引きずり込まれていったという定説が、極めて怪しいものに思えてくるエゴ・ドキュメントの結果でした。
また、当時の言論界などで、現代のSNS上で影響を及ぼすインフルエンサーと同じ働きをしていた思想家などが、全面的に日本の中国での侵略戦争を支持し、それを推進させるといった働きも行っていました。
そして、そういったインフルエンサーたちの言葉や思想に共鳴を覚え、日本軍の勝利に提灯行列など、華々しい示威的行動に参加する国民の数も増えて行ったようでした。
ただ、その一方で、ほとんどの国民にとって、中国大陸での戦争は遠い異国で行われているもので、直接、自分の日々の生活に関わってこないといったように、当事者意識という点では、余り切実感はなかったように思われます。
つまり、戦死者や戦病傷者は戦争が長期化し、膠着化することで年々歳々増えてはいましたが、その家族や知人でない人々にとってみると、戦争はリアルな現実ではなく、極めて抽象的なものとして捉えられていたということでした。
次に、この番組の後編では、日本海軍がハワイの真珠湾攻撃に成功し、日米戦争が始まった時の日記の記事が紹介されていました。そこでは、これまで中国での膠着した戦況を、一気に変える爆発的なパワーを、大多数の日本人が感じ取っていたことが明らかにされていました。
この開戦当日に日記に綴られた多くの日本国民の思いは、当初は、軍人たちの暴走で始まった戦争が、事ここに至り、軍人たちの思惑を遥かに凌駕し、日本国民が総力を挙げて、戦争支持し、熱狂するといった様相を呈したことがエゴ・ドキュメントでの分析により明らかになりました。
更に、熱狂は続きます。東南アジアでも戦争を始めた日本陸軍は、シンガポールを陥落させ、続いて、フィリピン、インドネシアへと進軍していきます。そこで圧倒的勝利に酔いしれる日本国民の熱狂は、凄まじい勢いを国内に齎したようです。
ある日記の中では、『この日本に生まれたことに感謝したい』といった言葉を臆面もなく使用し、軍事力で米英を圧倒していく日本軍の実力に平伏していたのでした。
こうして、緒戦の勝利に酔いしれた日本国民の心の中には、まさに「無敵日本」「神国日本」といったスーパーヒーロー的存在としての軍隊像が定着していったことになります。
ただ、軍人の中でも、こういった熱狂に対して懐疑的な考えを持つ人はいたようです。特に、戦争目的の曖昧化ということに関しては、深刻な問題を孕んでいるといった認識を日記に綴っていました。
実際、日本においては、状況に応じて都合の良い戦争目的が創作されてきました。満州事変を起こし、満州国を樹立したことに関して、国際連盟で非難された際に、その時の日本政府の見解は、「自存自衛のための戦争」というものでした。
そして、これが続く日中戦争へと継続され、戦争は遂行されたのですが、やがて、「大東亜共栄圏」といった東南アジアを含めた広範囲な地域に勢力圏を伸長させて行くという目的にすり替えられていったのでした。
本来は、日米戦争も日本国の「自存自衛」の戦争として開始し、それがアメリカにより担保された時点で停戦ないし終戦といったシナリオが想定されていましたが、欧米の支配を廃して「大東亜共栄圏」の樹立を図るといった目的に変わることで、アメリカとの停戦ないし終戦交渉が無いまま、ずるずると消耗戦へと突入することになったのでした。
これは、戦争を遂行する上で致命的な欠陥でした。何故なら、国力が貧弱な日本が、明治維新以降の対外戦争に勝利できた要因は、緒戦に勝利を挙げ、それにより有利な停戦条件を提示して、戦争を終了させるといった作戦が成功して来たからでした。
実際、日露戦争においては、海軍の日本海海戦での勝利、陸軍の奉天での勝利により、ロシア軍の戦意を挫き、それに乗じて停戦・終戦交渉を有利に進めるという作戦が功を奏したのでした。仮に、ロシアが国内的問題を抱えず、日本の停戦交渉に応じず、戦争があと半年続いていたら、日本は敗北していた可能性が十分あったのでした。まさに薄氷の勝利だったのです。
しかし、太平洋戦争は根本的に違っていました。これまで、限定的な地域での戦争しか経験したことのなかった日本軍が、太平洋という広範囲な地域で、総力戦を実施するという新たな状況に対処しなくてはならないものだったのです。
更に悪いことには、戦争を遂行していた軍人たちも国民同様に、緒戦での勝利と国民からの圧倒的な支持を前にして、客観的に戦争を分析し、作戦を遂行していく冷静さを失ってしまったように思えます。
その結果、緒戦の敗北から戦線を立て直し、反転攻勢へと移り始めたアメリカ軍の前に、日本軍の作戦は次から次へと失敗を重ねていく事になりました。しかし、その冷徹な事実を、国民に明らかにしていく事はありませんでした。
兵士たちが敗走しても、それを転戦と言い換え、部隊が全滅しても玉砕などという意味不明な言葉を使用することで、敗北の事実を隠蔽し、国民の失望を逸らし、無謀な戦いを止めることが出来ぬまま、全面降伏と言う屈辱的な現実を最終的に受け入れることになったのでした。
今回の番組では、日本軍が窮地に追い込まれ、やがて、日本本土へとアメリカの爆撃機が爆弾を投下していくといった状況のエゴ・ドキュメントは扱われていませんでしたが、わたしとしては、緒戦の大勝利に熱狂した多くの国民が、空襲や戦死者の増大、若者の徴兵や徴用、物資不足による飢餓状態を前に、どのような感想を抱いていたのか非常に興味深いものがあります。
ただ、そういう状況に至っても、大部分の日本人は、日本軍の勝利を信じていたようです。母親の言葉によれば、「神風が吹き、アメリカ軍の艦船が木っ端微塵と海の藻屑と化す」と信じ込んでいたとのことでした。
いずれにせよ、これまでの戦争責任論の中で、決定的に欠けていた一般国民の意識を、エゴ・ドキュメントと言う方法で、その一端を明らかにした今回の番組は、非常に有意義なものだったように思っています。
特に、同じ第二次世界大戦を引き起こしたドイツ国民、イタリア国民が認識している「戦争責任」と日本国民が認識している「戦争責任」に関しての違いにより、現在に至るまで日本の周辺国との間で、感情のもつれが残存し、それがたびたび吹きだして問題化していることへの今後の対処の仕方へ一石を投ずることになるのではと期待しています。(了)
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