浅田さんの論文=人間は権威とするものにコミットすると命を捧げてもやむを得ないとまで思い詰める存在であるということになにか不可思議を感じます。そこまで人間の第一の意識改革が徹底してしまったということに驚きさえ感じます。人間の連帯意識の強さを誇るべきなのでしょうか。戦争では、直接的な利害や人間関係をもたない者同志が、別の国のアンデンティティーをもつというだけで戦場で殺し合いを演じます。一人ひとりのすべての人が地球人としてのアンデンティティーを基盤にもっていれば決して殺し合いのようなことはしないと思います。カントは「永遠平和のために」という著書で、最後は個々の人の内面の尊厳によるのであり、それは近代民主主義の在り方につながると説いているように思います。
敗戦の直前には、特攻攻撃として生還を前提としない攻撃を若者に強いる作戦が採られましたが、そのような作戦をまじめに立案する人が軍の組織のなかにいたという事実をどのように受け止めるべきなのか考えさせられます。イスラム過激派による自爆テロというのがありましたが、人間の虚構に溺れる弱さなのかと考えさせられます。
もはや地球社会は、宇宙船地球号と呼ばれるのがふさわしい状況になりつつあると思います。そういう社会では特定の権威に入り込むこと自体危ういことではないかと思われてなりません。
薗部さんの論文=権威主義の社会において、芸術家は権威を讃えたりもり立てたりする役割を担い、権威者をパトロンとして安定した地位を維持することができたのだと思います。しかし、西欧社会において近代民主主義の思想が広がるのにつれて、芸術家は個人の尊厳の表出者としての役割を担うようになったのだと思います。ゴーギャンにしてもセザンヌにしても、権威におもねるような雰囲気の作品はなく、その作品は個人の内面奥深くにある尊厳としての実態を示そうとしたのではないでしょうか。近代民主主義の社会は、人それぞれが資本投資のような活動を競争的に行い経済的成果を確保していくプロセスが繰り返されていますが、こうした人間の内面の尊厳を描き出すような芸術にどのような経済的価値をつけ市場で売買されるものとするかは、わたしにははっきりしません。公共財としての扱いもあると思います。近代民主主義の人間観における個人の尊厳の共通理解を社会的に深めていくためにも、こうした芸術作品のもつ意味はこれから高まっていくべきではないかと感じます。それが近代民主主義の成熟を後押しすることにもなると思います。
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