この文章を書いている現在、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続いています。正直なところ、ロシア軍がウクライナ国境に集結し、ウクライナ国内へ軍事侵攻を開始するというニュースを聞いた時に、ほとんどの人々が、そんなバカげたことが起こることなど無いと考えていました。
実際、日本のテレビ番組に出演していたロシアの政治に詳しい専門家なども、侵攻が始まる直前まで、ロシア軍がウクライナへ軍事侵攻する可能性は極めて低いと予想し、そういった見解を披露する方がほとんどでした。
それは、専門家と言われている方たちが、合理的かつ冷静に分析し、判断した結果、こういった無謀な軍事侵攻は、ロシアにとってほとんどメリットが無いということから帰結した結論でした。
しかし、そういった専門家の分析や判断を100%裏切り、ロシアはウクライナへと軍事侵攻を開始しました。これを決定したのが、ロシアのプーチン大統領と言われていますが、例え、彼がマスコミで語られるような異様な独裁者であったとしても、それを支え、彼の指示の通りに動く官僚や軍人がいないことには、このような作戦遂行は不可能です。
そういう意味で、ここはプーチン大統領の個人的資質といった矮小化された原因を探るより、ロシアと言う国家、あるいはロシア人の思想といったように、もっと広い視点に立って、今回の無謀と思える軍事侵攻を考えてみてはどうかと思っています。
そこでまず取っ掛かりとして、現在は消滅してしまった巨大な国家ソビエト連邦について考えて見たいと思います。ソビエト連邦が崩壊して昨年で30年を経過した現在、若い世代の人たちはほとんど記憶にないのではないかと思います。
しかし、現在70歳のわたしにとっては、世界はアメリカが盟主の資本主義国家とソビエト連邦が盟主の社会主義国家に二分されていた所から記憶は始まっています。
特に、鮮烈な印象で記憶に残っている出来事は、「キューバ危機」と呼ばれているもので、核兵器を積んだソ連の船が、アメリカの喉元に当たるキューバへと近づき、一触即発で第3次世界大戦が勃発するのではないかという不安に、世界全体が包まれた時でした。
当時、小学校の低学年でしたが、新聞の一面に踊る、「第3次世界大戦」、「核攻撃」といった文字を見つけて、不安な気持ちになったことを、現在でも鮮明に記憶しています。
ただ、この「キューバ危機」は、アメリカ大統領のケネディとソビエト連邦のフルシチョフ書記長が電話で会談し、キューバに向かっていたソ連の船が、母国へ戻っていったことで回避されたのでした。
しかし、この事件の後、わたしを含め多くの日本人は、世界の平和や安全が、この2つの大国によって握られているということを明確に自覚することになったのでした。
このような刷り込みにより、その後、エンターティメントの世界においても、この両国の対立を軸とした作品が制作されました。その代表的な映画作品が、「007」ことイギリスの諜報部員ジェームズ・ボンドが活躍するスパイアクションでした。
わたしが映画館で初めて見た作品は、第3作目に当たる「ゴールドフィンガー」でしたが、その前の「ロシアより愛を込めて」の世界的大ヒットにより、ジェームズ・ボンドは、新たに出現したスーパーヒーローとして世界中の映画ファンを熱狂させていました。
この第2作目は、その後の「007」の映画の方向性を示す重要な作品であると同時に、アメリカを盟主とした資本主義陣営にとって、ソ連が途轍もなく強大な敵であることを印象付けた作品であったように思います。
ただ、作品のタイトルですが「ソ連」ではなく、「ロシア」というかつての名称で呼ばれている所に、あくまでもこの話は、フィクションであるという配慮がされていたように感じています。
でも、この映画を見た人たちは、強烈にソ連の持つパワーを感じ、脅威を覚えたことは間違えなかったように思います。そして、これをきっかけに、小説、漫画、映画といったメディアで、米ソ間で闘われている「冷戦」、その前線で蠢くスパイたちを主人公にした作品が大量に生み出されたのでした。
そういう刷り込みを小さい頃に執拗に受けたわたしは、自分が生きている間に、アメリカとソ連との冷戦が終結することなどあり得ないと頑なに信じ込んでいました。
だから、ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が崩壊していくのを目の当たりにした時、自分が世界史のターニングポイントに立ち会っているようなそんな感覚を覚えたものでした。
さて、以前に、マルクスについて書きたいとこの文章の中で申しましたが、そこには、米ソ対立による冷戦下で育ってきたわたしにとって、マルクスの思想を具現化したロシア革命、それに続くソビエト連邦の成立は、極めて興味深い対象としてあったからでした。
マルクス主義という言葉が、世界の中で大きな衝撃を持って迎え入れられ、現在に至るまで、現実の政治のイデオロギーとして君臨している理由は、ロシアで起きた革命により、マルクスが唱えた社会主義国家が現実世界で誕生したことによっていると考えています。
仮に、この革命が失敗し、ソビエト連邦が誕生しなかったならば、マルクス主義は、単なる19世紀の社会思想の1つとして、研究者の間で扱われる思想だったように思います。
ところが、20世紀のロシアで、実際に、その思想に基づいて武力革命が起こり、労働者を中心とした社会主義運動による政権が樹立されたことで、これは机上の空論ではなく、実践的な思想としての地位を確立したことになりました。
更に、ソビエト連邦は、第二次世界大戦で連合国側に付き、ナチスドイツや日本軍を敗北へと導くことで、戦後の世界に大きな影響力を持つ国として君臨することとなりました。
ヨーロッパにおいては、東ヨーロッパを社会主義国家へと変えていくと同時に、東アジアにおいては、中国を中国共産党が支配し、日本の力が空白となった朝鮮半島には朝鮮人民共和国を樹立させるなど、その後の冷戦構造へと繋がっていくイデオロギー対立の中心的役割を果たすことになりました。
実は、第二次世界大戦前のロシア帝国にしてもソビエト連邦にしても、世界的な視点に立った際、決して大国と言う地位を与えられてきた国ではありませんでした。
支配する領土は広大ですが、ツンドラ地帯など人が居住するに不便な場所が多く、ほとんど未開の地といった状態で、現在のモスクワ辺りまでがヨーロッパ化されている二流の国でした。
それ故、ロシアの上流階級やインテリたちは、自国の文化を蔑み、フランスの文化を有難がるといった卑屈な態度を示していたことは、ドストエフスキーの文学作品などに描かれています。
また、19世紀においても、農奴といった中世的な身分制度が残っており、イギリスやドイツが産業革命により、近代化していく中で、近代化に乗り遅れた後進国といった評価がヨーロッパにおいて共通認識となっていました。
そういう意味で、マルクスが考察した資本主義経済の齎す矛盾により、資本家と労働者との間での経済的格差や社会的格差が、社会主義革命を導くといった理論から一番遠い国だったのでした。
ところが、その理論を裏切るように、ロシア帝国で社会主義革命が勃発し、ロマノフ王朝が打倒され、労働者による社会主義国家が樹立されたという現実は、20世紀における最大の政治的イベントでした。
このソビエト連邦樹立は、その後の世界に2つの大きな影響を及ぼしたとわたしは考えています。1つは、利益のみを追求し、そこで働く労働者を使い捨てにして来た19世紀型資本主義が、労働者の人間としての権利を認め、生活の豊かさを保証していく20世紀型資本主義へと変化していったことです。
その代表例は、北欧などが先駆的に実践していった福祉国家として表れています。資本家がひたすら社会の富を独占的に収奪するのではなく、社会の構成員にその富の一部を分配して行く事で、安定した社会を築いていくという社会政策に結実しています。
2つ目は、社会を変革していくためのイデオロギーを一般大衆に与えたということです。それまで、強大な国家権力に抵抗するためのイデオロギーを持てなかったため、抵抗勢力は四分五裂といった状態で、有効な反撃手段を持てませんでした。
それが、このロシア革命により、マルクスが唱えた社会主義思想、更には共産主義思想が抵抗や反抗のためのイデオロギーとして普及することになったのでした。
そして、そのイデオロギーに賛同する人々が結集する場所として「党」が出来上がり、その党が唱える社会革命を実践していく体制が出来上がったのでした。
また、それはその国だけの運動ではなく、国際的な運動として世界に拡散され、至る所で、既存の国家や社会を否定し、新しい国家や社会を生み出すためのパワーとして認知されて行きました。
この日本においても日本共産党と言う名称で日本支部が成立し、それまでの労働運動と一線を画した組織的な社会革命運動として、労働者のストライキやサボタージュという形で姿を現すこととなりました。
それに対して、当時の政府は国家を転覆させる勢力として、社会主義者、共産主義者を徹底的に弾圧する方針を立て、社会主義者、共産主義者を大弾圧し、転向声明を強要することで、組織を破壊し、更には、治安維持法により反政府的活動を徹底的に取り締まることで、戦時体制を構築していく事になりました。
つまり、ナチスドイツや軍事国家日本が、成立したきっかけは、ロシア革命による労働者の台頭に怯えた旧支配層が、社会主義や共産主義を恐れる余り、暴力的な勢力の恣意的な活動を許した結果、第二次世界大戦勃発の原因を作り出したのではなかったかとわたしは分析しています。
このようにして樹立したソビエト連邦でしたが、それを主導したレーニンが死亡した後、国際共産主義運動の路線を巡る対立により、苛烈な権力抗争が行われ、それにより反対派の「大粛清」といったように何千万人ものロシア人や周辺国の人々が殺害されたのでした。
現在、そういう黒歴史が明らかにされ、そこでの犠牲者の数も明らかになっていますが、ソビエト連邦時代、第二次世界大戦前にせよ、以後せよ、徹底的に隠され、国家権力の暴虐の姿が明らかになることはありませんでした。
そして、こういった悲劇が起き、その結果、多くの人々が虐殺されてもソ連社会が維持されてきた理由として、元々、ロシアの皇帝による専制主義的な政治に慣れ親しんでいたロシア国民にとっては、ただ単に皇帝から共産党へと権力が移行しただけで、実際のところ何一つ変わっていなかったことにより、違和感を感ずることが無かったのではと言う分析をする研究者もいるようです。
つまり、強権的な皇帝が、共産党の指導者に変わったが、少なくとも生きるための食糧や住まいを確保してくれる限り、その独裁的な社会政策に対して、不満を感ずることなく過ごせることが可能だったという見解です。
それは、ヨーロッパの中で、産業革命を経験し、先進国へと脱皮していった国々の民衆の中で育まれた自由や民主主義を経験することなく、いきなり社会主義革命に巻き込まれたロシアの民衆にとって、レーニンなどのインテリたちが目指す理想的な社会を想像することが出来なかったことによるものかも知れません。
そして、それはソビエト連邦が崩壊し、現在のロシアに移行しても、根源的な部分では、実は何一つとして変わっていないのではないかということです。
ソ連が崩壊し、経済的混乱により国内が混乱した後、資本主義経済を導入し、現在の国際社会に参入したロシア国民が選んだリーダーは、力強さをアピールする人間でした。プーチンを抜擢した初代ロシアの大統領エリツィンは、わたしの目から見てもとても知的な人間には見えない人物でした。
酒浸りで赤ら顔をして、覚束ない足取りで歩く姿をテレビの画面で見た時、ドストエフスキーの小説の中に登場する酒浸りで、赤ら顔で、プライドだけ強いが貧しい退役軍人の将校のような雰囲気を感じました。
かつての栄光の日々をグダグダと喋り、プライドを傷つけられると「決闘だ!」などと口走り、直情的で無教養で暴力的なその姿は、エリツィンを彷彿させるものでした。
そのエリツィンが引退して、その後釜に選ばれた男がプーチンでした。北極圏に住む狐のような風貌とKBG上がりの陰謀家といった体裁は、これまでのロシアのヒグマを思わせる権力者たちと一線を画していましたが、マッチョな肉体を晒し、力を誇示するポーズは、ロシアの権力者の系譜を十分に踏襲しているように感じられました。
そして、彼はそれ以降権力の座に座り続け、ロシアの独裁者として国内に君臨してきました。しかし、いくら国内において権力を掌握しようとも、国際的な評価では、かつてのソビエト連邦の権力者とは比較しようが無い程、低い評価しか得られて来ませんでした。
ソ連崩壊前のソビエト連邦を知っている彼にとっては、これはどうにも我慢のならぬ待遇であることは十分想像できます。かつては、アメリカ合衆国と並び立つパワーで世界に君臨していたのに、今では核ミサイルを保有していること以外、アメリカどころか、蔑んできた中国にさえ及ばない三流国に下落している。
そういうリアルな現実を認めたくないのは、プーチンだけでなく、大国だったソビエト連邦を知っている国民にも共通の思いではないかとわたしは想像しています。
大国幻想とでも名付けたら良いかもしれないロシア国民のプライドをプーチンは、周辺弱小諸国を軍事力で従わせるという演出により、満足させることで、権力基盤を盤石なものにしてきたのではなかったかと推察しています。
そういう意味で、今回のウクライナへの侵攻も、同様の手口により、2年後に迫る大統領選挙を有利に進めるための仕掛けだったように思います。ただ、唯一誤算だったのは、ウクライナのゼレンスキー大統領が、簡単に逃げ出さず、ウクライナ軍がロシア軍に徹底抗戦を行ったことで、当初のシナリオが狂ってしまったことでした。
しかし、戦争というものは、このシナリオの狂いは致命的なものになります。特に、今回の様に他国へと侵攻した際に、一番重要な「兵站」が狂うと、軍事作戦は極めて厳しい状況に晒されることを如実に示しています。
更に、もう1つ明らかになったことは、ロシア軍の所有する兵器が旧式なものであり、戦争作戦も、現代戦と言うより、第二次世界大戦当時のオペレーションで実施されているということでした。
ロシアには、アメリカを超える数の核弾頭ミサイルがあることで、世界では、ロシアの軍事力を大きく見積もって来たようですが、どうやら、通常兵器は時代遅れのものが主流であり、現代のハイテクを主流とした武器に対応していないことがあからさまになったようです。
それが、2日間でウクライナを占領し、ゼレンスキー大統領を放逐し、親ロシア政権を樹立し、ウクライナの実効支配を完成させようと目論んだ作戦が失敗に終わった原因のようです。
戦争が始まった当初、ウクライナの首都キエフへ向かうロシア軍の車列が60キロに渡り続いているという衛星画像が配信され、キエフの陥落は時間の問題だという見解が示されましたが、その後。現在まで20日間余りの時間が経過しましたが、ロシア軍の侵攻は停滞したままです。
キエフには、ロシア軍は3方向から侵攻しているとのことですが、そのロシア軍のいずれもが、キエフに到達していない現状は、実は、「兵站」の失敗により、ロシア軍は、前進も後退も出来ないということのようです。
多分、このままでは、NATOを始めとするヨーロッパ諸国からの武器援助により、装備の整ったウクライナ軍の反撃で、ロシア軍は壊滅的な敗北を喫する可能性も否定できないようです。
ただ、正直なところ、素人であるわたしが、この戦争の勝敗の帰趨については軽々に判断することは出来ません。しかし、現在のロシア軍の「兵站」の失敗は、戦場における決定的な失敗として敗北への道筋が描かれてきたように思います。
それでも、多分、プーチン大統領は敗北を認めようとはしないとわたしは想像しています。何故なら、彼にとって今回の戦争は、かつてのソビエト連邦の偉大さを復活させるための戦いであり、ある意味、彼にとっては聖戦と呼んでも良い位置づけにあるものと推測するからです。
わたしは、直接、ロシアの人たちと交流した経験はありませんが、ロシア文学は結構読んできました。特に、ドストエフスキーの小説は、「地下生活者の手記」「賭博者」「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」と代表的な作品を読んできました。
その中で、ドストエフスキーが造形するロシア人の姿が、わたしのロシア人観の根幹になっています。その中でも、繰り返し造形される人間像として、「カラマーゾフの兄弟」の長男であるドミートリ―・カラマーゾフが典型例として思い浮かびます。
直情的で、感情を理性で制御できない、その結果、感情に支配され、自らの欲望を抑制できぬまま、破滅への道をひた走る。そのくせ、プライドは高く、自らの窮状を曝け出し、他人に助けを求めることなど出来ない。
こういう人間をドストエフスキーは、ロシア人の典型的なキャラクターとして描写しています。そして、わたしには、プーチン大統領がこのキャラクターに似ているのではないかと思えるのです。
彼は、決して狂人ではないと思います。ただ、わたしたちから眺めて見ると、ある種極端な性格が突出して見えるため、そういう評価に至っているのかも知れません。
ただ、冷静に分析してみると、彼の行動の原理は、ロシア人に典型的なものに思えるのです。だから、大多数のロシア人は、彼を支持し、彼の言葉に納得しているのだと思います。
そういう意味で、余りにも追いつめられると、専門家の方たちが憂慮しているように、化学兵器や戦術核兵器といった人類に対しての恐ろしい犯罪行為を誘発する可能性が見え隠れしています。
もし、そういう究極の選択により、犯罪行為に踏み切った暁には、どのような結果が彼を含めロシア国民に待ち受けているか、わたしは恐怖を覚えています。ただ、ドストエフスキーの小説を読む限り、彼が破滅の途を引き返す確率は少ないように思います。
そういうことを考える時、今回の軍事侵攻に対して、何一つ出来ることのない無力のわたしには、人類にとって最悪な犯罪行為を起こすことなく、戦火が止むことを遠い日本で祈ることしかありません。そして、この祈りが通じ、1日も早い戦争の終結を願っています(了)
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