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第159号

2023年8月5日

「地球社会のこれから」

深瀬 久敬

 

1.伝統的権威主義に基づく統治

 人類は、伝統的に権威主義に基づく統治によって社会生活を営んできたのだと思う。その権威とは、人間存在の意味や価値についての一つの理解(唯一の正解がある訳ではない)に基づいて構成されたものであり、具体的には宗教や神話として語られ、それが身分制度のような社会の具体的な在り方を規定するものとなった。すなわち、WHATの問いに対する答えに基づいてHOWの問いへの具体的答えが編み出されたということである。そして、政教一体の権威とされるものが社会全体の秩序と安定を維持する基軸とされたのであった。やや偏見かもしれないが、それはある意味では恐怖政治のようなものであり、残酷な処刑は日常茶飯であり、一人ひとりの都合や自由は省みられることはなく、集団全体の在り方が最優先されたのであった。

 付言すべき点は、こうした特定の権威を奉ずる社会を運営している限り、その権威を貶めようとする外的な勢力と遭遇した祭には戦争が不可避であるということである。すなわち、恒久平和を願うならば、権威主義の統治をなくすことを前提としなければならない。

 こうした権威主義による統治の歴史には、ヨーロッパにおける法王と国王、中華帝国の歴代の皇帝、日本の江戸時代までの天皇と将軍、明治維新から戦前までの天皇と軍部、などを挙げることができると思う。

 

2.科学と近代民主主義の獲得

 中世のヨーロッパにおいて、キリスト教の世界宗教化を目指し、その権威の論理的根拠の体系を構築する努力がなされていた。しかし、その努力が破綻し、その不可能性を悟った人達から、自然界の諸現象を、その意味や価値を問うことなしに、その因果関係を数学的法則として客観して理解する態度が獲得された。これが科学の起源になった。

 さらに、自然界の諸現象を客観して理解する態度が人間社会に向けられたとき、身分制度のような生まれつきの差別は存在せず、全ての人間は自由であり、平等であり、一人ひとりの尊厳が相互に尊重されるべきだとする近代民主主義の獲得へとつながった。

 個の尊厳を掲げる近代民主主義の獲得については、キリスト教がその教義の一つとして、互いに愛し合うことを強調したこと、一人ひとりの人間としての正さは、ルターの信仰義認論のようにその人の内面の在り方に依ること、などの教えに基づく側面が大きいのではないかと感ずる。

 

3.近代社会のこれまでの経緯の概要

 近代社会は、科学と民主主義の発見によってその幕を開けたが、そのとき、人間存在の意味や価値を問うというそれまで宗教が主に担ってきた問いかけは、脇に置かれ、人間の便利さや快適さを求める欲望の実現がメインテーマとして掲げられた。そうした活動のインフラを担ったのが資本主義だと考えられる。

 近代民主主義は、民族的な同胞意識に基づく国民国家の誕生を促し、その体制のなかでは徴兵制が敷かれ、国民国家間の競争が繰り広げられることになった。すなわち、科学革命、産業革命によって、大量生産、大量消費が可能になる一方、富国強兵、殖産興業の掛け声のなかで、それに見合った市場や資源を求めることになり、それが植民地主義、帝国主義への流れを作り、国民国家間の利害競争に拍車がかけられることになった。こうした国家の理念を超越した活動の根底を担った価値観が資本主義だといえると思う。

 こうした活動が、第一次世界大戦、第二次世界大戦を引き起こさせ、そして、資本の主体をどこに置くかの対立が米ソ冷戦構造を引き起こした。社会主義は資本の運営主体を特定の政党に一任するものであり、ある意味で権威主義への回帰を図ろうとした点に留意する必要がある。

 そして、米ソ冷戦構造の決着の後、今日の米中対立の構図が明確になりつつある。中国は、共産党の一党独裁であり、中華帝国の復興を目指すという伝統的権威主義の統治への回帰そのものだと言える。そこでは、国民一人ひとりの尊厳を相互に尊重するという民主主義の基本が排除されている。その一方、科学技術の成果や応用に関しては強い関心を示し、産業競争力や軍事力の強化に余念がないという危険度の高い状況にある。

 

4.今日の地球社会が抱えている課題

 近代民主主義は、国民国家と資本主義といういびつな形態を抱えるなかで運営されてきた。さらに、人間存在の意味や価値を問うという姿勢を放棄したまま、科学技術の急速な進展やグローバル化の浸透という荒波に揉まれ続けてきた。そうした結果、今日、いくつかの深刻な課題に直面しているのだと思う。それらについて、以下、論じてみる。

 

1)人間存在の意味や価値を問い続けること

 人間が存在する意味や価値とはなにかという問いは、科学と民主主義の近代社会になって、形而上学として貶められ、かつての宗教のように深く問い下げられることはなくなったように感ずる。そして、便利さや快適さのような人間の欲望を実現することが人間の生きている最大の目的のようにみなされ、それが資本主義によって体現されてきたように思う。例えば、現人神の天皇政治から民主主義に転換した戦後の日本の社会は、こうした典型であり、エコノミックアニマルとして産業経済の興隆にひた走った。また、マルクスの資本論に述べられた思想は、資本主義の問題を、資本を支配する人を特定のプロレタリアートの政党エリートに帰属させることによって解決しようとしたにすぎないのではないだろうか。

 そして、資本主義は、科学技術の発展と民主主義に基づく自由主義経済のもとで、私たちの日常の生活の便利さや快適さを一変させた。例えば、街中にはコンビニの店舗が並び、通販で注文すれば翌日には宅配され、超高層ビルが林立し、リニア新幹線、スパコン、高度な医療技術、高速インターネットなどが身近になるなど、この数10年の間の変貌でさえ驚くほどである。

 しかし、その一方で、米EU中ロの対立は深まり、ウクライナ戦争から核戦争が危惧されたり、大量の二酸化炭素の排出に起因する温暖化は山火事などの日常の脅威になっている。また、日常生活における格差問題や差別問題で大勢の人々が苦しんでいる。

 子々孫々の人間社会は、今後、数十年、数百年をどのように存続していくのか、明るい未来を見いだすのはかなり困難な状況になっている。

 人間存在の意味や価値を深く問うことは、人間とはなにか、どのような存在なのかに答えを求めるものであり、そして、その答えに基づいて、私たちの日々の活動の在り方、人間同志の関係の在り方、地球上の他の生き物との関係、等を考える基盤となる。

 人間とはなにかという問いは形而上学であり、唯一絶対の解はないということを意識しつつ、その問いを掘り下げることが大切なのであり、科学と民主主義によって幕開けした近代社会は、それを資本主義という人間の欲望の実現ということのみに注目し、この問いに正面から向き合うことを避けてきた。民主主義の国の憲法の冒頭には、必ず、この人間とはなにかということに触れているが、残念ながら形骸化しているということだと思う。

 実存主義哲学や近年のwell-being理論は、一層、掘り下げられ、これからの人間社会全体の憲法ともいえるものに反映されていくべきではないかと思う。個々の人間の尊厳やそれを相互に尊敬しあうということの理解が、私たちの日常生活のなかに、より深く浸透することを祈念したい。

 DX時代の今日、人間とはなにかという問いに対する人それぞれの答えを公募し、それを整理してweb上で公開し、広く理解を深めるという手段もありうるようにも思う。

 

2)地球環境問題

 地球環境問題は、今日、ニュースにならない日はないほどに注目されている。かつては、水俣病とか四日市喘息とか、ローカルな公害問題が主であったが、地球社会全体が取り組むべき課題に変化してきている。その状況を概観すると次のようになると思う。

 地球温暖化問題は、エネルギー源としての化石燃料を大量に使用した結果、それに伴い放出された二酸化炭素が温暖化ガスとして地球を覆ってしまうことに起因していると言われている。対応策としては、風力や太陽光を利用した再生エネルギーへの転換、電気自動車の利用、バイオ燃料の活用、原子力発電の小規模な利用などがあるとされている。しかし、一人あたりの使用するエネルギーが急速に増大するなかで、ウクライナ戦争の影響などもあり、どこまで有効な対応がとれるのか予断は許されないだろう。

 食糧問題は、アフリカ諸国などでは切実な課題になっているようである。具体策として、果実の実を大きくすることや、害虫や温暖化や塩分に強い品種を作り出す遺伝子編集の適用、人工養殖、人工肉、植物工場、昆虫食などが注目されているようである。今後、この分野では様々な技術進歩の可能性が予想されるが、実質的にどのように変化していくのか不安と期待が混ざった印象である。

 その他、環境問題として、動植物の多様性を維持するための自然保護区の制定、マイクロプラスチックによる海洋汚染などが挙げられている。

 私たちは、数十年後、数百年後の人類にどのような地球環境を引き継ぐことになるのであろうか。それは今現在の私たちの取り組み姿勢にかかっていることを忘れてはいけないと思う。徐々に水温をあげていくと飛び出す機会を失って死んでしまう「茹で蛙」の例えが切実感をもって迫ってくる感じである。

 これらは、マルクスが指摘したように行き過ぎた資本の論理のもたらしたものともいえるが、いまや、人類全体がひとつの主体として取り組むべき課題になっている。地球の長い歴史から言うと「人新世」という一過性の事象に終わるのか、今後、数千年先、数万年先の人類の健全さの基盤を構築することができるのかが、今問われているように感ずる。

 

3)差別の問題

 今日の地球社会には、様々な差別が存在している。人種、民族、LGBT、宗教などの違いに起因する軋轢が、グローバル化の広がりとともに深刻さを増しつつある。言葉、食生活、衣服、日常の習慣などの違いが相互理解の敷居を高め、それがなにかの弾みで紛争を引き起こす。今日、移民や難民の増大に伴い、それは米国やヨーロッパ諸国に、様々な問題をもたらしている。極右政党の台頭、自国ファーストの政治姿勢、アファーマティブアクションに対する保守派の抵抗などである。

 個々の人間は、生まれたときの環境の違いに基づいて、多様なアイデンティティーをもちうる存在である。そうしたアイデンティティーとするものが異なるために、相互理解が封じられるというのは、大きな課題と言わなくてはならないと思う。ウクライナ領内に住む親ロシア系住民とか、ロシア領内に住む親ウクライナ系の住民とかの存在が指摘され、些細なことからそれぞれ他国の領地に住む親自国民を軍事力によって保護するなどということをやりだしたら、紛争がなくなることはないように思われる。

 キング牧師の「わたしには夢がある」という演説のなかに、「いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。」というのがある。そうした客観的にみれば無意味な相違や歴史的に醸成された習慣などに基づいた差別を、いつまでにどのようにして払拭するか、問われていると思う。民主主義の社会が不安定化し、短絡的な独裁体制に堕してしまう要因がこうした面にあることにも留意すべきだと思う。日本という国は、そういう点で非常に鎖国的な対応を続け、異質の人々の本質的な受け入れをどのようにするのかという問題意識が欠如しているように感ずる。

 

4)格差の問題

 格差の問題は差別の問題とは異なると思う。格差は、学歴、雇用形態、資産、その人の子供のころの環境や資質、などに起因するように思う。高い学歴をつけようとすればそれなりの投資が必要であり、親が出してくれるか奨学金を借り入れるかで大きなハンディーの差になるだろう。雇用形態として、正社員、派遣社員、任期付き社員、個人請負、パート社員、など様々であり、これらに起因して収入はかなり異なってくると思われる。

 こうした状況をより柔軟にしていく対応が求められていると思うが、次のようなものが考えられると思う。第一に、教育の電子化を押し進め、オンラインで多様な知識やスキルを獲得でき、それを支援する人的なサポートを無料提供する。日本の企業では、OJT主体で行ってきたことへの反省でもある。第二に、雇用の流動性を高める工夫を計ることである。転職の意味が明確になるように仕事毎に、それに必要なスキルはどのようなものか明示するなど、客観化することである。欧米ではかなり進んでいる一方、日本の社会では人柄などの客観しにくい側面が重視され、雇用の流動性が高まらないと言われている。国際標準に近づける努力が必要だと思う。第三に、ベーシックインカムのような社会保障制度を確立するべきだと思う。個人的には、雇用を守るために企業に支援金を提供するのではなく、個人の安定した生活を保障する方が適切のように思う。稼働しない企業は、設備を凍結しておき、適当な時期に再稼働すればよいのであり、雇用をそのまま維持しておくのは、ある面でのメリットは理解できるが、なにか無駄が多い印象を受ける。               

5)権威主義国家中国のこれから

 中国は、十四億人強の人口を抱え、米国の人口の約4倍である。こうした大規模な国家が、一党独裁体制を構築し、香港や台湾に対する民主主義の排除を押し進め、軍事大国への猛追、東シナ海の領土化戦略、一帯一路の経済面での世界戦略、北朝鮮のような犯罪国家との連携、アフリカなどの非民主主義の小国への経済援助と支配、などを通して存在感を高めていることに強い懸念を禁じ得ない。

 わたしは一人ひとりの個の尊厳とその相互の尊重という近代民主主義の理念は、科学の発見と相俟って人類の長い歴史のなかの必然的な時代の流れと捉えられるべきものだと思う。確かに、一人ひとりの尊厳が社会的にどのように尊重されるべきかという問いには、様々な改善がなされている一方、混乱がまだまだあることも否定できない。上述のような中国社会が、一朝一夕に近代民主主義の社会に転換することは確かにむずかしいと思う。内部から民主主義を指向する動きは必ず出てくると思うし、民主主義の国々は、民主化への動きを効率的に支援する準備を日頃から用意するべきだと思う。軍事力で優るだけでは決してこの問題は解決しないと思う。


「負けること勝つこと(115)」 浅田 和幸
「問われている絵画(150)-絵画への接近70-」 薗部 雄作
【編集あとがき】
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編集発行:人間地球社会倶楽部

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