昨年始まったロシアによるウクライナ侵攻は、30年近く前に生じた東西冷戦構造の崩壊による経済のグローバリズムが内包していた矛盾を一挙に露呈したように思えます。
この経済のグローバリズムですが、それまで西側の資本主義経済諸国と東側の社会主義経済諸国という区分をぶち壊しました。その結果、ロシアのように政治体制を変えた国もあれば、中国のように政治体制は変えず、経済システムだけを変えた国も含め、地球規模による経済の相互依存を高めるという思想でした。
前号でも書きましたが、資本主義とは資本が増殖していく運動である以上、その増殖を阻害されると、それを乗り越えようという絶対的な意思が働くこととなります。
第二次大戦後に訪れた東西冷戦により、西側諸国の経済成長の速度が頭打ちになって来た危機感を前に、これまで手つかずにあった社会主義経済諸国の市場を獲得しようとした動きが、東西冷戦構造を破壊したことは、ここでも何度か書いたように記憶しています。
いずれにしても、市場の限定による経済成長の鈍化は、東西冷戦構造が破壊されたことで是正され、それまで経済的に停滞していた国々に、経済成長を齎し、その勢いは堰を切ったように世界へと拡大して行きました 。
中国共産党率いる中華人民共和国は、毛沢東による文化大革命においても、経済成長を遂げることは出来ませんでしたが、この東西冷戦崩壊後に訪れた経済のグローバル化により、現在は世界第二位の経済大国へと成長出来ました。
巨大な労働人口を抱えた中華人民共和国は、「世界の工場」という地位を得て、それまで西側諸国で生産していた製品を一手に引き受け、それにより停滞していた経済を覚醒させたのでした。
あくまでも仮定ですが、東西冷戦構造が破壊されず、現在までも続いていたなら、多分、今日の中国社会の発展も無かったのではないかと思われる程、経済グローバル化の恩恵を享受した国が中華人民共和国だと思われます。
それでは日本はどうだったでしょうか?60年代に入り、急速に高度経済成長を遂げた日本も、この経済グローバル化の波に呑まれることとなりました。それまで、国内で分業して生産していた製品を、国内から海外での生産へとシフトしていく傾向は止まることを知らぬほどに加速化して行きました。
特に、日用雑貨、繊維製品といった軽工業に分類される製品は、国内工場から海外工場での生産が必須とされるようになりました。理由は人件費でした。高度経済成長により、日本社会が豊かになっていくことで、人件費も上昇し、高度系座成長期の初期のように、安価で大量な労働力を武器にする方法は、次第に使えなくなっていたのでした。
そこで、安価で大量な労働力を持っている国に、生産拠点を移動して、そこで国内で生産するよりも安価な商品を作り、それを自国や海外に売ることで資本の増殖を図ろうとしたのでした。
それは日本国内産業の空洞化を招く判断でしたが、当時は、軽工業や重工業と言った従来の基幹産業から脱皮し、新たな産業の創出ということが図られていたため、一時的な経済不況や会社の倒産といったネガティブな状況を打開できるという目算がそこには確かにありました。
こうして、経済のグローバル化=生産の国際分業と言う仕組みにいち早く対応した日本は、先端的な技術開発による新しい価値のある商品の生産に専念することで更なる経済発展を目論んでいたのでした。
実際、この生産の国際分業は当初は画期的な成果を挙げると同時に、それまで経済的に低迷していた国々に活気を齎し、それと共に、その国々の経済成長も飛躍的に向上しました。
例えば、中国では、賃金の上昇と共に、購買力の上昇となり、それまで貧困にあえいでいた人々が、消費者として経済を潤おすことになっていったのでした。その結果、国内総生産では、世界第二位の日本を抜いて、アメリカに次ぐ経済大国に成長しました。
しかし、日本では残念なことに当初考えられていたような経済発展はなされませんでした。確かに、新しい技術による製品開発や世界シェアーの獲得に、一時的に成功しましたが、その成功は長続きせぬまま日本経済は停滞から脱することが出来ていません。
最近、マスコミでも多用されている「失われた30年」という言葉の通り、日本経済はかつての輝きを失い、活力を喪失して、右肩下がりの状態になっているのです。そこへ、今回のウクライナでの戦争の一撃が加わりました。
ウクライナに宣戦布告も無しに攻撃を開始したロシアに対して世界各国でロシアへの経済制裁が始まりました。日本もその流れに沿って経済制裁を始めたのですが、実は、天然液化ガスの輸入国としてロシアは大きな存在でした。
国内でのエネルギー確保が3割台の日本にとって、ロシアから天然ガスを購入できないことは大きな痛手となっています。これは、日本だけでなく、ヨーロッパ特にドイツでは深刻な問題となりました。経済のグローバル化で、エネルギーや食糧と言った人間の生活に欠かせないものが、自国ではなく他国への依存度が増えたことで、こういう問題が起きると、容赦なく厳しい現実に直面することになったのでした。
特に、日本の場合は、エネルギーだけでなく、食料も自給率は3割という状況で、これまで順調に推移して来た経済のグローバル化が破綻を来すとなると、一挙に深刻な影響を国内経済に齎すことになったのでした。
更に、アベノミクス以降、ゼロ金利が継続されている日本に対し、アメリカやヨーロッパでの金利の上昇による円安が重なって、デフレだと言い続けて来た政府も、いよいよインフレであると認めざるを得ない物価上昇が日本国内で起きています。
現在、エネルギー価格の国際的な上昇により、ガソリン代、電気代、ガス代といったエネルギー商品が人々の生活を圧迫しています。更に、小麦などの輸入商品も上昇し、日本人のエンゲル係数をかつてない程に上昇させています。
ただ、こういった様々な商品の高騰は、日本特有の現象ではなく、アメリカを始めとしてヨーロッパ、アジアの諸国にも拡大しつつありますが、そこでは同時に賃金の上昇も見られ、経済が停滞しているわけではありません。
しかし、日本では賃金はここ30年余り横ばい状態で上がってはいません。つまり、物価が上昇すれば、可処分所得がどんどん少なくなっていき、生活に余裕がなくギリギリの生活を強いられることとなっているのです。
この結果、経済的格差はかつてない程に激しく拡大しています。わたしが、「地球156号」で書いた1990年に「政界」という雑誌に応募した論文で「日本は『世界で唯一社会主義が成功した国だ』」としたのは、当時の日本社会が、世界的に見ても、一番、経済的格差の少ない国であると思ったからでした。
実際、当時の資料によると、会社経営のトップである社長の年収と平社員の年収の差が、10倍以内に収まっている国は、先進国では日本の他にないという現実があったからでした。つまり、富裕層も一般の労働者も、それ程にかけ離れた賃金格差が存在せず、それなりに安定した生活を享受できる国が日本社会と考えたからでした。
しかし、残念なことにあれから33年を経過した現在、そんな牧歌的な状況はどこを探してもありません。先日も、テレビ番組で、夫婦合わせて月6万円の年金しかないので、生活を維持していくために70代になっても働いている女性の方が紹介されていました。
この方は、若い時に自営業で、経済的に豊かだったことで、年金を掛けるのを10年程度しか掛けていないために、これだけ少額の年金受給となったようです。ご本人は、健康で働けているので、70代になって働くのも苦ではないと答えていましたが、逆に、健康を害し、働けなくなったら一挙に生活苦へと墜ちていくこととなります。そして、こういう高齢者が全国にたくさん存在しています。
わたしが「政界」という雑誌に論文を書いていた当時、「ハッピーリタイア―」と言う言葉が語られていました。定年を迎え、会社を退職した男性が、その後の人生をどのように幸せに過ごしていくのかと言うテーマがドラマにもなっていました。
当時は、きちんと仕事をし、退職を迎えることが出来たなら、その後に、生活費を稼ぐために必死になって働くということより、これまで働くことしか知らなかった会社員が、会社と言う組織を離れてどのような生きがいを持って生きていくかということに関心がありました。
そこには、経済的に追い詰められた高齢者像ではなく、企業を退職し第二の人生に向けて出発するためのノウハウに関心を抱く高齢者像があったのでした。しかし、現在では、そんな悠長なことは言っておれない状況であることは、「地球158号」に倍賞千恵子さん主演の映画「PLAN75」を題材にして書きました。
つまり、そこまで日本社会は追い込まれているのです。ただ、どういうわけか、多くの日本人は、現在でも、日本社会は豊かな社会だと思い込みたいようです。多分、現実を直視することが恐ろしいか、或いは、それなりに暮らしている以上、波風を立てたくないといった心性が働いているのかも知れません。
しかし、現実はどんどん悪化の一途を辿っています。これを書いている10月23日付の「北陸中日新聞」の記事に、「地方公務員 非正規冷遇続く」というタイトルと共に、非正規の地方公務員の厳しい経済環境がレポートされていました。
市の都合で勤務日数が前年度より月に5 日減らされた非正規の職員は、日給制のために毎月の手取りが10万円台まで落ち込んだと記者の取材に答えています。こういった「会計年度任用職員」の問題は、全国各地で起こっており、全国で70万人余りの「会計年度任用職員」の雇用問題は、損害賠償を求める裁判にまで発展しています。
これも、地方公共団体が、正規職員である地方公務員の人件費を圧縮する目的で始まったものが、民間企業のような利潤追求の代わりに、固定費の削減による行政のスリム化が過剰に求められ進行した結果、非正規職員の増加へと繋がっています。
特に、図書館の職員ではこの傾向は顕著のようで、記事によると全国の図書館職員の76%が非正規職員であるということが、日本図書館協会の調査で明らかになっています。確かに、図書館は本を貸し出す業務が中心で、一般の行政職とは異なっていますが、こういう傾向が持続すれば、やがて文化施設、スポーツ施設と言ったものまでも同様の雇用形態となっていくのではと危惧しています。
公務員と言うのは、法律にもあるように「全体の奉仕者」という存在です。市民や県民や国民に対して、分け隔てのない対応をすることが求められていますが、それは正規の職員としての縛りであり、このように非正規の職員を縛ることは、本来想定されていなかったように思います。
いずれにしても、財政のスリム化ということで、本来住民が享受できる様々なサービスが、蔑ろにされ、十分に行き渡らないといった事態が出現するようになれば、住民の不平や不満は高まり、納税に対する意欲の減退と言ったような事態も招きかねない危うさがあります。
さて、現在の日本社会は、ここ三十年余り続いて来たデフレ経済からインフレ経済へと大きく舵を切ろうとしています。しかし、先行してインフレ経済となっているアメリカなどと比較すると、賃金の上昇のスピードが決定的に不足しています。
これに対して、10月23日から始まった秋の国会で、岸田総理は、所信表明演説の中で、「経済」という言葉を28回繰り返し、国民への富の「還元」とこれまでのコストカット型経済からの「変革」を声高に主張しましたが、これが彼の宣言した「新しい資本主義」の具体的な施策であるとは、わたしにはどうしても思えません。
例えば、彼の言う「還元」は所得税の時限的な減税です。税収が円安効果で想定より増えたから、税金を国民に返しますというこの施策、単なる選挙対策の小手先のポピュリズムとしか思えません。
彼が対処すべきことは、将来に渡り日本社会が抱えている様々な問題、例えば、「人口減少」「少子化」「生産人口の減少による人手不足」「高齢者の福祉・年金」「安全保障」といったものに、どのような立ち位置で対処していくかというビジョンを国民に提示し、そのための予算が必要なら、敢えて増税も辞さないと覚悟を述べることではなかったでしょうか?
残念ながら、「新しい資本主義」と大見得を切っておきながら、「新しい」とは到底思えない、古臭い減税ポピュリズムは、経済が右肩下がりの日本社会にとって、起爆力にはならぬどころか、将来への負債として残っていくことは明白のように思えます。
それでは、これからの日本の在り方としてどうして行けば良いのかということを、これから少し考えて見たいと思います。過去を振り返ってみれば、日本社会が高度経済成長によって獲得したものは、それまで日本社会に在った経済的格差の是正でした。
これまでも書いてきましたように、わたしが小学生だった60年代、私の同級生の多くは借家住まいでした。長屋と呼ばれる家に住み、個人の部屋を持っている同級生はほとんどいませんでした。また、農家の子弟も多く、農繁期になると家の手伝いで休む子たちも、まだいたように記憶しています。
それが、高度経済成長をきっかけに、日本社会は大きく変わりました。専業農家が減り、長屋住まいだった人たちも、郊外に新しく開発された団地で、一戸建ての住宅を取得するようになったのでした。住宅産業では、建て売り住宅がブームとなり、100軒、200件の新しい住宅団地が各地で形成されて行きました。
これは、日本人が経済的に豊かになり、それにより一戸建ての家を取得できる経済レベルへと上昇した結果だったと考えられます。働けば収入が上がり、それを当てにして家屋や自動車と言った耐久消費財を購入していく事で、日本経済の規模は飛躍的に上昇していったことが全国規模で起きたのでした。
その結果、多くの日本人は、自分たちは豊かになり、貧しい暮らしから脱却することが出来たと考えるようになりました。当時の流行語にあるように「一億総中流」という言葉のように、日本社会から貧困が消滅したと自負したのでした。
しかし、現在から過去を振り返ってみると、その認識が全く見当外れだったことに気が付きます。実は、ちょっとしたあぶく銭を手にし、それが豊かさだと勝手に誤解していただけで、実際の経済基盤は、それほど盤石なものでなかったということです。
実際、バブル経済が破裂し、それまでの経済システムが機能不全に陥った途端、日本社会は、坂を転がるように、貧困への道を転がり始めたのでした。
アメリカの証券会社リーマンブラザーズの破綻をきっかけに、世界で拡大したリーマンショックによる大不況の際に、仕事を失い、住居を失った日本の労働者が、年越しのためのテント村に集まったニュースを見た時、高度経済成長で「一億総中流」と言われた日本社会が、実は、経済的には脆く底の浅い構造だったことにわたしは気が付きました。
こういう状況を招いたのは、それ以前から日本が進めていた「新自由主義経済」による国家運営でした。小泉内閣の際に、それまで限定的であった非正規労働の枠組みを大きく拡大し、あらゆる業種に非正規労働を認めたことで、急速に正規労働から非正規労働への変更がなされました。
この非正規労働を担う人たちは主に女性でした。一方で、男女雇用均等法により積極的に女性の職場進出を促しながら、年収制限の壁を設け、家事や子育てといったようにフルタイムで働けない主婦層を利用し、安価な労働力として、非正規労働を増大させていったのが現実でした。
そして、現在は、それに定年退職をした高齢者が加わっています。年金制度の改悪により、定年後5年間の年金支給が出来なくなったことで、その人たちを安価な労働力として非正規で使うことが積極的に進められました。
更に、年金だけでは暮らすことが出来ない65歳以上の高齢者に対して、安価な賃金で働く場を与えることで、この制度は維持されてきたのでした。ただ、ここに来て、労働力の不足ということが顕著に表れてきたことで、年金受給の繰り下げを推奨し、元気なうちにはまだ働こうといった言説で、高齢者の労働力を確保しようと躍起になっています。
いずれにしても、経済的に余裕があれば、安価な賃金で働くことを選ばなかった主婦や高齢者を、経済的に追い詰めることで、労働に駆り立てているというのが、現在の日本社会の実態のように思われます。「一億層中流」時代において、「ハッピーリタイア―」などと言われていた定年後の人生設計は、もうとっくの昔に破綻していたことをわたしたちは気が付くべきだと思います。
このよう経済的格差が進行して行けば、低所得に喘ぐ人々は、その日暮らしの生活を強いられ、そういった家庭に生まれた子供たちも、貧困の連鎖から抜け出すことが出来ぬまま成長し、やがて犯罪等に手を染めるということは、日本以外の国々で生じている社会問題です。
日本社会も、かつて貧困であった時代、青少年による様々な犯罪が頻発していました。それが豊かになっていくに連れ、青少年の犯罪や非行も減少し、社会が安定していった歴史があります。その歴史と、真逆なことがこれから起ころうとしているということでしょうか?
問題は、経済格差による貧困です。これを放置しておけば、社会は不安定化し、これまで安全であるとされてきた日本社会も、いつまでも安全を維持できるのか疑問符が付くようになりました。
実際、高度経済成長期に建設された大都市郊外の団地は、急速な高齢化が進行すると同時に、低所得者層の吹き溜まり状態となり、一種のスラム化が進行しているといった報告が届いています。
多分、今後デフレからインフレへと経済のトレンドがシフトされ、物価上昇に歯止めがかからなくなっていけば、こういったスラム化した団地は各地に拡大して行くことになると予想されます。
19世紀を生きていたマルクスが「資本論」で、資本主義が過酷を極めた後には、労働者による社会主義革命が起きると予測しましたが、実際のところ、社会主義革命が起きたのは、資本主義経済の未成熟なロシアや中国でした。
その理由は、イギリスなどの資本主義先進国は、労働者の貧困に対して、社会保険制度や最低賃金制度なと、当時の社会主義者たちが提言した労働者を保護する制度を、法文化し、政府の施策として採用していった結果でした。
同様なことは、前にも書きましたように日本でも起きています。岸内閣が推し進めた日米安保条約締結に反対して起きた安保闘争後に、池田内閣による所得倍増計画、その後に続く、高度経済成長による国民所得の増大と労働環境の改善等により、それまで吹き荒れていた労働運動も沈静化しました。
また、経営者側と労働者側による対話での「春闘」といった賃上げ闘争がルーティン化して行く中で、労働者による反政府運動は急速に収束していき、その後の自民党による政権が続いていく状況を生み出したのでした。
そういう意味で、経済格差の解消は、社会を安定化させると同時に、人々の日々の生活に活力を与える効果があるということです。現在の日本社会では、まさにこれと真逆なことが起きています。日本人はどんどん貧しくなっています。かつて、後進国などと上から目線で眺めていた国々が豊かに、成長していく中、日本だけが取り残されているといった現実があるにも関わらず、それを認めようとしない国民がまだ多くいます。
しかし、果たしていつまでそういう風に無視できるのでしょうか?多分、時間はもう余り残されていないようにわたしには思えます。そして、残り僅かな時間で、いまわたしたちが出来ることはと言うと、それは経済的格差の縮小のための社会主義的経済政策だと思っています。
岸田総理が提言した「新しい資本主義」では、この経済格差を縮小することは不可能だと思います。せいぜい、彼が最近使っているフレーズを使うなら「少々の還元」でしかありません。それも、国民全体に薄く還元したからと言って、格差が縮小することなど絶対にあり得ません。
そうではなく、現在貧困に喘いでいる人たちを政治の力で底上げしていくということです。かつて、「一億総中流」と言われた日本社会は、現在、一部の富裕層と下向きに落ちている中間層と大きな貧困層と言った三角形の構造に変化しています。
これは、高度経済成長前の日本社会へと逆戻りしたことを表しています。こういった三角形を押し上げ、貧困層を中間層へと底上げしたのが高度経済成長だったのです。ただ、それと同じことを日本社会が出来るのかと言えばそれは無理です。
つまり、高度経済成長と言ったやり方に依存している限り、底上げどころか益々中間層が貧困層へと下落していくことになります。それが、バブル崩壊後の「失われた30年」の真実だったのです。
勿論、経済成長を放棄しろと言うのではありません。伸ばすべき分野と捨てるべき分野を明確にし、伸ばすべき分野には積極的に投資や注力することで、捨てるべき分野により生じた社会問題(倒産や失業)を、政府として正面から受け止め、支援等を実施していく必要があると思います。その決断を多くの日本人は政治に期待しているはずです。
そして、この決断により生じた問題を、解決するために、社会主義経済的手法を採用することで、出来るだけ国民の痛みを緩和すると同時、不平や不満による過激な行動の抑制が政府には求められているのです。
それではわたしが考えている方法については次回以降で明らかにしたいと思います。(続)
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