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第160号

2023年11月6日

「わたしたちが生きている意味についての一考察 ~なぜ自分の頭で考えなくてはならないのか~」

深瀬 久敬

 

1.存在論と権威主義による伝統的社会統治

 

 人間存在の意味や価値を問うことは、人間の永遠の課題だと思います。

 ポール・ゴーギャンは『我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか』という絵画を描いています。

 この問いは、古来、神話、宗教、形而上哲学などの主要なテーマでした。

 例えば、次のようなものです。

・ギリシャ哲学 :タレス「万物の根源は水」、ヘラクレイトス「万物は流転」

・キリスト教  :原罪、互いに愛し合う、信仰義認説 (ルター) 。

・仏教     :色即是空、執着心。

・神道     :畏怖と畏敬、清らか?

・イスラム教  :偉大な神を身近に?

・ヒンズー教  :輪廻転生を実践?

 

 こうした人間理解を踏まえて、人間社会の在り方が考察され、身分制度のような社会制度が構築されました。こうした政教一体の権威を共有することによって、社会の安定と秩序が維持されてきました。すなわち、Whatの問いを深めてHow の問いの答えを見いだすということだと思います。

 具体例としては、ヨーロッパの法王と国王、中国の両方を兼ね備えた皇帝、日本の天皇と幕府、といった政教一体の権威による統治があります。

 こうした伝統的な権威主義に基づく社会では、個人より集団が優先され、生贄とか特攻隊などが容認されていました。また、刑罰は権威に背くとひどい目に会うことを示すために一般的に残酷なものでした。

 

2.科学と近代民主主義の発見

 

 中世のヨーロッパでは、キリスト教会がその教義を唯一絶対の普遍性をもつものとして理論武装 (論証) すべく注力していました (スコラ哲学) 。それは、アリストテレスやプラトンなどのギリシャ哲学、ユークリッド幾何学などを動員して構築されていました。

 ところが、中世の終わりころ、理性と信仰の対立が先鋭化するなかで、一部の人々によって、存在の意味や価値の問題を論証することは不可能であることが悟られました。このことは立場を変えて言うと、それまで意味付けて理解されていた落体の描く軌道や天動説のような現象界のことについては、意味を問うことを止め、一定の法則に基づく因果関係として客観的に理解すればよいという態度につながりました。これが近代科学の起源となりました。

 そして、現象界を客観的に見る態度が人間社会に向けられたとき、生まれながらの人間は、自由であり、平等であるという近代民主主義の思想が獲得されました。このことにより、因習的に受け入れられてきた身分制度のような差別は撤廃されることになりました。また注意するべき点として、近代民主主義においては、キリスト教の影響とも言えますが、自由や平等の根底では、一人ひとりの人間が尊厳をもち、それを相互に尊重しあうことが基本的要件になっていることがあります。

 

3.資本主義の進展

 

 科学と近代民主主義の獲得は、人間存在の意味を問うという姿勢を脇に押しやり、人間が生きていく上での便利さや快適さの追求を前面に押し出すことになりました。すなわち、国民国家を単位として、産業革命、植民地主義、帝国主義が推進され、徴兵制度と並行して、富国強兵、殖産興業が競われることになりました。こうした人間社会の便利さや快適さを追求する枠組みが資本主義と呼ばれているものだと思います。

 こうした科学と近代民主主義の広がりは、ほぼ同じタイミングで建国されたアメリカ合衆国が未開の広大なアメリカ大陸に登場することによって、より一層拍車がかけられました。

 他方、資本主義の活動が活発化するなかで、民主主義の理念が滞り、社会の安定と秩序が脅かされた場合、特定のイデオロギーのもとでの独裁政治、強権政治に陥るという、心理学でいう一種のマゾヒズム的状況が現れる傾向がありました。ドイツのナチス政治、日本の軍部主体の大日本帝国は、その一例と言えると思います。

 こうした資本主義体制のなかで、第一次世界大戦、第二次世界大戦、米ソ冷戦構造などで大量の犠牲者を出しながらも、人間社会は便利さや快適さを確実に前進させることに成功してきました。

 

4.今日の社会が抱える諸課題

 そして、今日の私たちの社会の状況には、次のような課題があることが指摘されています。

 

 第一は、近代民主主義の健全な運営がなんらかしらの要因で阻害され、特定のイデオロギーを掲げたいびつな独裁政治、強権政治、権威主義の国家 (例えば、中国、ロシア、北朝鮮) が形成され、そうした国々が近代民主主義を掲げる国々と深刻な対立関係を引き起こしていることです。今日のウクライナ戦争や台湾海峡問題が、これに該当していると思います。

 そして、権威主義の国々において、開かれた視野からではなく、権力の維持強化のみを目的としたいびつな科学技術の探究がなされるというリスクが高まりつつあることです。

 

 第二は、地球環境問題です。1)化石燃料の放出する温室効果ガスに起因する海面上昇、山火事や大型台風の頻発、2)マイクロプラスチックによる海洋汚染、3)食糧資源や鉱物資源の枯渇、4)絶滅危惧種の多発に起因する生物多様性の危機、などがあります。様々な対応策が考案されつつありますが、地球規模で有効な手段を今すぐにでも実行しないと手遅れになるとも言われています。

 

 第三は、情報化の急激な進展です。デジタル化はわたしの理解ではパルス符号変調の登場あたりから爆発的に普及したように思います。パケット通信、ゲーム、クラウド、第5 世代移動通信システム、4K解像度、検索、生成AI、などの普及に伴い、リスキリング、個人情報、フェイクニュース、サイバーセキュリティーなどの新たな課題に直面していると思われます。

 

 第四は、便利さや快適さを第一義的に追求する資本主義という枠組みのなかでは、人種差別、民族対立、宗教対立、移民や難民の問題、所得格差、などの問題に有効な解決策が見いだされていないことです。

 また都市化と人間疎外の問題や科学 (特に医療技術) の倫理性の問題なども、この範疇に含まれると考えられます。

 宗教は、長い歴史のなかで、人間存在の意味や価値について深い洞察を加えてきましたが、権威主義との関連づけという位置づけからいまひとつ抜けきれずにいるのではないでしょうか。

 

 こうした様々な深刻な課題に建設的に対応していくためには、人間が存在している意味や価値という根源的なところから考えなおしてみる必要あるように思います。そして、近代民主主義の社会では、特定の組織に権威をもたせ解決を委ねるというのではなく、一人ひとりが主体性をもって向き合い、自分なりの考えや見解をもち、それらを相互に尊重しあうなかで建設的にひとつの解を構築していく参加者意識をもつことが要請されていると思います。言い換えれば、ラグビーでよく知られる「One for all All for one 」を一人ひとりが実践することではないでしょうか。

 

5.日本社会の特殊性

 

 日本の社会は、第二次世界大戦に1945年8 月に敗北するまでは、現人神天皇を絶対的権威とする徹底した権威主義の国家でした。しかし、それが、1947年に施行された日本国憲法によって、近代民主主義の先端を行くような社会に変貌することになりました。この憲法は、敗戦直後から駐留したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部) のなかでも先進的な憲法理念をもった民生局の強い影響力のもとで作られたと言われています。

 この憲法は、日本社会に熱烈に歓迎された訳ですが、施行後の朝鮮戦争や経済復興のもとで、自由や平等という理念が声高に叫ばれる一方、一人ひとりが尊厳をもち、それを相互に尊重しあうという基本精神の浸透を欠いたまま、今日に到っているように思われます。

 戦後からバブル経済崩壊のころまでは、戦前の官僚主導体制が、通産省などに引き継がれ、その主導のもとで経済大国と言われるまでに復興しました。しかし、情報化技術が社会に浸透し、社会の価値観が多様化するのにつれて、こうした官僚主導の体制が限界を迎え、日本の社会は衰退の一途を辿っているように思えます。一人ひとりの尊厳を尊重するという姿勢は、タテ社会意識、同調圧力、忖度、女性の社会的地位、集団主義、パワハラやいじめの横行、LGBTなどの多様性への拒否反応、などをみれば、全くと言ってよい程に浸透していないと言えるのではないでしょうか。

 学校の校則が、生徒の自主性によって、どのように変更したらよいのか、様々に対応されているようです。こうした身近な活動から、日本の社会が真に近代民主主義の基本精神によって立つ社会になることを期待したいと思います。


「負けること勝つこと(116)」 浅田 和幸
「問われている絵画(151)-絵画への接近71-」 薗部 雄作
【編集あとがき】
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編集発行:人間地球社会倶楽部

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