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第160号

2023年11月6日

「問われている絵画(151)-絵画への接近71-」 薗部 雄作

 

 

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新聞の写真によるコラージュ作品 1964

 

 

 コラージュ作品をつくるきっかけについては、すでにふれているが、かなり偶然の出来事であった。たまたまハサミや糊を使っていたので、何かの雑誌の写真を見ていて、これをいくつかに分割して、別の組み合わせにしてみたら、どうなるだろう、という思いがふと浮かんだのであった。そして、それをさっそく実行してみたのであった。すると思いもしなかった不思議な不思議な形が出現したのであった。そのときの体験はすでに書いたこともあるが、くりかえすと「コラージュを始めたのは一九六三年頃だったと思う。当時、職場の仕事でハサミやノリを使っていたからかもしれない。あるとき、なにげなく雑誌の写真を見ていて、ふと、この写真をいくつかに分割して別の組み合わせ方をしてみたらどうなるだろう、と思いついたのであった。そこでさっそくその写真をいくつかに分割して別の繋ぎ合わせ方をしてみたのであった。すると。そこには元の写真とは違う、一見、何の写真かは見分けがたい不思議なかたちが現れたのであった。今からみれば、その試作は実に小さくささやかなものではあるが、わたしはそのとき、ある種のヒラメキを感じた。これをおし進めれば、何かできるのではないか、と」。

 

 わたしは自分の部屋でさっそく始めてみた。最初の試作がカラー写真だったので、まず週刊誌などのカラー写真などを使って作ってみた。しかし、カラー写真には、種類もまた量的にも限りがあり、思うように展開してゆかない。まもなく、わたしは新聞のモノクロ写真を使うようになった。こちらは、量的にも、また写真の大小やその種類も豊富である。わたしは、手当たり次第にというか……とにかく、その作業にのめり込んでいったのであった。

 そこでは、人や物の形がこまかく切断されてバラバラになり、そして名称や来歴のわからなくなった物同士が、かつての状態とは異なる結びつきで、別の秩序で多数集合させられると、そこに得体のしれない不思議な、何か具体的で抽象的な〈物たち〉の集合世界が出現するのであった。そして、身元不祥になったかれらの集合体は、懸命に密着し合体しようとしているようでもあり、また、遁走しようとしているようでもあり、墜落しようとしているようでもある。それがなんとも、鮮烈でスリリングな経験なのであった。それらの作品について石子順造は「一見きわめてメカニックで、抽象風景的な表情をたたえて透明にみえる。しかし近づいてみると、その猥雑な狂騒さと、内側から沸きたってくるような膨張欲にほとんど辟易させられる。(中略)ここでは写真がコラージュされることによって、まさに絵の具に転化されている。個々の写真は、次々と薗部の感性の方程式の中に、既知数として導入されながら、同時に単なる材質としての未知数を堆積してゆく。従来のコラージュの手法にみられる等号の機能は揚棄され、出会いによる既成の意味の扼殺というより、意味構造そのものを骨抜きにしてしまう追跡がなされている」(『現代美術』No7 一九六五)

 

 ただ、すこし気になったのは、新聞紙という素材である。ご存じのように、新聞紙は比較的もろい紙質であり、変色もしやすい。しかし、すでに制作当時から五十年以上たった現在、あらためて眺めてみても、それほどひどい状態にはなっていない。紙の色の変化などは、すこし茶色がかってきてはいるか、画面全体が一様に変化しているので、それはそれで時間の経過を感じさせたりして、別のおもしろさが加わったようにも思える。もちろん、画面そのものを、そのままむき出しにしていれば変化も激しいであろうが……。

 

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新聞の写真によるコラージュ作品 1964

 

 

 

「負けること勝つこと(116)」 浅田 和幸
「わたしたちが生きている意味についての一考察 ~なぜ自分の頭で考えなくてはならないのか~」 深瀬 久敬
【編集あとがき】
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編集発行:人間地球社会倶楽部

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