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第161号

2024年2月14日

「負けること勝つこと(117)」 浅田 和幸

 

 

 令和6年元旦。午前中に氏神様への初詣も終わり、午後は国立競技場で行われたサッカーの日本代表とタイ国代表との親善試合をテレビで見ていた。その試合に日本代表は5対0で勝利した直後に、石川県の能登沖でマクニチュード7・6の地震が発生しました。

 石川県の志賀町で震度7。私の住んでいる金沢市では震度5強の激しい揺れに襲われました。これまでも2千6年の輪島での地震、昨年5月の珠洲での地震で、震度5弱の地震は体験してきましたが、今回の激しくそして長い揺れに、家が倒壊してしまうのではないかと言う恐怖を覚え、近くの柱を必死に掴んでいました。

 幸いなことに、わたしの家では家自体が壊れることもありませんでしたし、家財道具などの被害も無く、停電、断水等も無かったため、すぐに日常へと戻ることが出来ましたが、その後も、震度3、震度4の地震が頻発し、本来ならのんびりと寝正月を決め込むはずだったのに、不安な三が日を過ごすこととなりました。

 それから10日以上経った現在も、被害が大きかった珠洲市、輪島市を中心にして被害の全貌が全く見えていない状況が続いています。連日報道される奥能登の被害状況を見ながら、今回の「令和6年能登半島地震」が、現在の日本社会の抱えている問題を情け容赦なく白日の下に曝け出したといった感想をわたしは抱いたため、今回はこの地震について書くことにいたしました。

 さて、わたしは連日報道される地震のニュースやワイドショーのコメンティタ~の方々の伝え方や話の内容を聞きながら、彼らのように東京と言う大都会に住んでいる人間にとっては、この石川県の奥能登と言う過疎地域のことについての想像力が全く欠けていることに改めて気が付きました。

 但し、それは東京在住の方たちを責めているわけではありません。大都市に住んでいる方たちには、到底想像することのできない現実があり、今回は、それがオブラートに包まれることなく、剥き出しのまま突き付けられたために、そのことにどう反応して良いのか戸惑っているのだとわたしは理解しています。

 勿論、わたしも奥能登ではなく、金沢市と言う県庁所在地に暮らしており、東京の方たちより、少しは、現地の生の感覚を味わえる立場にあるだけで、それ程偉そうなことは言えませんが、それでも東京の方たちの的外れな議論や解説より、現実に近いことを書くことが出来るのではないかと思っています。

 先ほども、この大地震の発生から10日以上が経過したのに、まだ被害も含めて地震の全貌が見えてこないことに、阪神大震災以後に起きた日本各地での大地震と決定的に違っていることを理解いただけると思います。更に、ボランティアによる被災地の救助など、これまでの大震災の際には効果的に機能したシステムが全くと言って良い程に機能していないこともこの能登半島地震の特異性を示しています。

 何故、全貌が見えてこないのかと言えば、それは孤立した集落が点在しているため、そこに行く交通手段も限られるだけでなく、住んでいる人たちも高齢者が多く、自力で、そこから設備が整った町の避難所へと避難して来ることが困難な状況にあるからです。

 また、地形的にも半島ということで、一方向からしか陸路は無く、当初は、海からのアクセスも視野に入れてはいましたが、海岸線が地震により隆起し、これまで港として使用していた入り江なども使用不可能となり、歩いていくか、空から行くかといった極めて困難な状況に置かれているからです。

 しかし、これは地震によって起きたことではありません。元々、小さな集落が点在しており、その集落を結ぶ道路は貧弱なものでありました。更に、人口が少ないため公共交通機関(鉄道、バス)は無くなり、辛うじて自家用車での移動だけが生命線となっていました。

 また、その点在した集落に住んでいる方たちはほとんどが高齢者の方たちです。65歳以上の人口が50%を超える珠洲市。その中でも点在している集落に住んでいる方は、ほぼ全員高齢者と言う超高齢化の集落では、自力で孤立を解消するために働ける人材もほとんどいない状態で、ただ、助けに来るのを待っているといった状況が続いているのです。

 つまり、大地震が襲来する以前から、この奥能登の地は打ち捨てられた状態に放置され続けて来たのでした。そして、これが現在の日本の地方の実態なのです。しかし、行政も含め、政治家もマスコミも住んでいる住民自身も、この不都合な真実を認めようとはしませんでした。

 市長選や市議会議員選挙になると、公約は「活性化」「人口増の施策」「働く場所の誘致」といったものが判で押したように並べられてきました。しかし、残念なことに、人口減少は止まらず、新たな働く場所の誘致も出来ず、ただただ衰退していく流れを止めることは出来ぬまま、30年以上の歳月が流れたのでした。

 地方テレビ局の画面に行方不明者としてテロップが地震の後に流れ続けていますが、そこに表示される方たちのほとんどが、60代以上の高齢者であり、90代の方も珍しくはないのが現状です。

また、辛うじて命は助かり、避難所へ逃れて来た方たちも、その大部分は60代以上の高齢者であり、避難所では市役所の職員が介助しなければトイレに行けない方たちや認知症により徘徊が止まらない高齢者の問題が深刻化しています。

 そういう意味では、今回の地震により避難者と言う弱者の立場になる以前に、多くの方たちは、様々な意味で社会的弱者であり、介助等が無かったなら暮らしていく事も儘ならぬ方たちが住んでいる場所に地震が起きたと言った方が正しいように思えてきます。

 ここで、珠洲市や輪島市の基礎的なデーターを紹介します。まず、珠洲市の面積は247.20㎢で人口は1万3千人弱。輪島市の面積は426.32㎢で人口は2万3千人強と市のホームページには記載されています。

 さて、2つの市と比較する意味で、大阪市を取り上げてみたいと思います。大阪市の面積は225.33㎢で人口は277万人と市のホームページにあります。つまり、珠洲市より小さな面積に21倍余りの人間が住んでいるということになります。

 だから、大阪市が大きな災害に見舞われたとしても、珠洲市や輪島市のような孤立するような集落や町内は多分存在しないと考えられます。逆に、人口が多いことによる弊害で、被害が大きくなることはあったとしても、その反対は皆無のように思います。

 そして、これが過疎と高齢化の行きついた地方都市のリアルな姿なのです。ところが、この事実を認めようとせずに、夢物語を語り続けて来たのが日本の地方都市でした。

 実は、全国ニュースにはならない奥能登の生活インフラの問題は、これまでにも度々起こっていました。昨年の12月の半ばに、北陸地方は突然の大雪に見舞われた際、今回被災した輪島市の山間部では、倒木により10日以上停電が続きました。

 湿った北陸の雪の重みで、木が倒れ、それにより電線が切断しての停電でしたが、原因は、高齢化と人口減少により、これまで人の手が定期的に入って整備されていた山林が整備されず放置され荒れ果てことで、いくつもの個所での倒木を招いたのでした。

 また、現在被災地では、電気は復活しつつあるものの、水道の復活は困難で、断水が続いていますが、これも2年前の冬に、同じく輪島市で大規模な断水騒ぎがありました。これは、寒気により凍結した水道管が破裂したために起きた事故でした。

 ただ、大規模で復旧に長期間掛ったのは、1つには空き家が多く、家人による漏水のチェックが出来ず、検査員が各家庭を1つずつ確認するといった状況があったこと。そして2つ目が、水道管自身が老朽化しており、漏水しやすくなっており、それを取り替えるのに多くの時間が掛かったからでした。

 その際、水道管を新しく取り替えるためには、1kmにつき約1億円の工事費が必要であるとのことで、厳しい財政状況の中、取り替えの必要は十分に承知していながら、簡単に着手することが出来ない事情が語られていました。

 実際、水道管への新たな投資を行うためには、今後、水道を使用する人が増加することが、経済的合理性においては必要でありますが、現実は、人口が減少していく地域では、こういった工事を行えば、使用料金の上昇と言うことに繋がり、行政としても簡単には着手できないのが現状です。

 つまり、このように地震が発生する以前から、過疎と高齢化の進行していた奥能登地区では、生活インフラは厳しい状態に置かれていたところに、今回の地震は止めを刺したとわたしは思っています。

 同じことが、個々人の住宅にも当てはまります。今回は壊滅的な被害により、珠洲市では9割の家屋に被害があったと言われています。これまでにも地震の被害が繰り返されていながら、耐震化の工事の施工率は、珠洲市も輪島市も石川県全体の施工率よりも低い水準に留まってきました。そして、それが今回の地震による家屋の倒壊に繋がっていると専門家が指摘しています。

 しかし、わたしはその専門家の言葉を聞きながら、自分の住んでいる家に、子どもたちが帰って来ることなど皆無であると同時に、自分自身もいつまで生きて住むことが出来るか分からない現状を前にして、耐震化の施工を行いたいというインセンティブが働くとは、到底思えませんでした。

 実際、石川県は4分の3の補助金を出し、自己資金は50万円程度で耐震化工事が出来るとアナウンスされたとしても、それに着手しようという家の持ち主がいなかったことが、今回の壊滅的な家屋の倒壊で明らかになったということです。

 以前、首都圏にあるが、最寄りの駅から遠い物件ということで、不動産が負動産に化して、それを相続した人たちが困っているというエピソードを書いたことがありました。しかし、奥能登では、それが30年以上前から進行しており、今回の地震でも多くの空き家が被害に遭ったと報道されています。

 つまり、復興などという美しい言葉は、この奥能登で起きた災害には一番似つかわしくない言葉なのだと思います。限界集落がやがて消滅集落になり、それが癌のようにどんどんと増殖していく未来の日本の地方都市の姿を、今回の奥能登の地震は、非情にもわたしたちにこれでもかと見せつけることとなったのではないでしょうか?

 さて、今回大きな被害に遭った珠洲市も輪島市も、かつては4万人、5万人の人口を抱えた地方都市でした。それが、戦後の高度経済成長の中で、一貫して人口の流失が続き、現在では約3分の1の数になっています。

 しかし、珠洲市のホームページには、20年後の2045年には、現在の半分の人口になるという予測の数字が掲載されています。これは、輪島市でも同様の数字が出ています。

 つまり、珠洲市も輪島市も地方都市として消滅に向かっているということです。大阪市より広い地域に、6千人余りの人間が住んでおり、そこで電気や水道や道路といった生活インフラが、現在のように維持されることが可能なのかと問うてみれば、それが極めて困難であることが理解いただけると思います。

 勿論、日本では自分の所有している土地に家を建て、そこに住むということを禁ずる法律はありません。しかし、そこに住んでいる人たちのインフラを維持しなければならないという法律もありません。その結果、テレビ番組の『ポツンと一軒家』で紹介される家では、生活用水は水道ではなく、山からの湧き水を利用する、電気は自家発電で賄う、道路の補修も自分で行うといったスタイルで、辛うじて生活が成り立っている現状を私たち視聴者は目にしています。

 多分、20年後の珠洲市では、市役所など公共機関がある中心部の町以外で、生活しようとするなら、こういった不便を覚悟の上で生活することを余儀なくされることと予想できます。

 そういう意味で、被災者の方に対して冷酷な言い方かも知れませんが、今回の地震により多くの家屋が倒壊し、現実的に居住が出来なくなったことは、将来に起こり得る状況が、単に前倒しになっただけではなかつたかとわたしは思っています。

 実際、国の方では20年以上前から、地方都市での『コンパクトシティ』の取り組みを推奨してきました。分散して居住することで生じる無駄や不便さを解消する方法として、1カ所に住民を集め、そこで生活してもらうことで、便利で快適な生活を保証するといった施策に取り組むよう提言してきました。

 ただ、残念なことに、住民の方たちがこれまでの住環境を捨て切れず、自分の土地に愛着を持ち、止まり続けることが多かったために、推奨したほどに進んでいないのが現状です。特に、過疎化や高齢化が進行している地域では、こういった取り組みが重要であったはずなのに、ほとんど手つかずの状態であるのは、大都市に住む人たちの土地に対する意識と地方都市に住む人たちの土地に対する意識の差にあるのかも知れません。

 更に言えば、都市に出て来た人たちに比べ、地方都市に留まっている方たちは、新しい環境や新しい経験に対して、拒否感が強いとか、臆病であるとか言った心の在り方の違いも影響しているのかも知れません。

 1つの例として、1月11日の北陸中日新聞の朝刊の記事に、電気や水道といったインフラが整備されていない避難所から、金沢市に出来た避難所への移動を進められた70代の女性の声として『金沢に行きたくない。どこで何が買えるかも分からない。知らん顔と死ぬより、珠洲の人と死んだ方がまし』と掲載されていました。

 これは、石川県を始めとして行政の側が、少しでも避難者の負担を軽くするための方法として、別の町に移動することで解決しようという合理的かつ適切な手段を提示しても、住民の非合理かつ感情的な思いには、対抗する手段がないことを如実に示しています。

 そして、これが大都市の住民と地方の過疎地に住む住民の断絶なのだとわたしは思っています。つまり、土地に対する愛着度が決定的に違っているのです。ただ、平常時であれば、こういった郷土愛も大切だと思いますが、現在のような非常時においては、逆に、この郷土愛は、自らの暮らしを苦しめるものと化しています。

 この土地に対する愛着の大きさは、『コンパクトシティ』を推進しようとした経済産業省の役人たちにも理解不能なものだったと考えられます。経済合理性、生活の効率性、生活の快適さを実現できると構想された『コンパクトシティ』は、こういった地方に住む人々の非合理な感情論が障壁となっていたということです。

 しかし、個人的な感情論によるわがままもそろそろ通用しない程事態は深刻になって来たのです。特に、今回の地震は、それに最後の一太刀を浴びせたようにわたしは感じています。もし、珠洲市が『復興』という文字を掲げるなら、それは、今までの場所での再建ではなく、新たにゾーンを区切り、そこでの復興ということ以外に方法は無いと思っています。

 つまり、20年後に珠洲市の人口が6千人余りになることを予測して、人口を1カ所に集約し、そこに様々な公共施設を配置し、公共サービスを提供していくゾーンの建設です。

 また、この計画に加わらず、独自で暮らしたい人たちに対しては、自助努力による生活ということで、行政の関与は限りなく少なくなることを理解してもらい許可することで、人材や資源の効率的な運用を図る必要があります。

 現在、『墓じまい』と言う言葉が流布しています。先祖や親が入っている墓を維持管理していく事が出来なくなったことで、墓を終うという方法です。この『墓じまい』は全国各地で進んでいます。

 それと同様に、小さな地方の町を『町じまい』する必要があるとわたしは考えています。実際、各地で「限界集落」が増加し、それがやがて居住者が0の「消滅集落」へと変わっていっています。数人の都市からの移住者が増えたとしても、それは一時的な現象であり、この大きな流れが変わることは無いというのが、現実的な判断ではないかと考えています。

 そういう大きな流れの中で、そろそろわたしたちは本気で『町じまい』に着手することで、この少子高齢化による人口減少社会に適応していくことを問われているように思います。

 そういう視点に立つと、今回の奥能登の地震からの復興は、これまでの復興とは異なったものになるのではないでしょうか。実際、崩壊した山林により、道路が寸断された孤立地区に、再び道路を通すことより、10数人あるいは10数所帯の住民を、新たに整備したエリアに移住させることの方が、税金の使い方としても合理的であるように考えます。

 実際、そういった孤立した集落の住民は、ほとんどが65歳以上の高齢者であります。つまり、20年後にはその半数が亡くなっている可能性があります。その時に、果たしてその場所で現在のような生活を維持していけるとは到底考えられません。

 ある意味、郷土愛が強い住民の方には酷な選択かも知れませんが、将来的に解決できる問題ではない以上、この機会を逃さずに進めていく事が、将来において禍根を残さぬ方法だと覚悟していただきたいなとわたしは思っています。

 最後に、今述べて来たことは、私の住んでいる石川県だけの特殊な事情や問題では無いということです。石川県より、人口が少なく高齢化が進行している県は日本海側沿岸、四国といった所に存在しています。

 そして、今回の奥能登地震で明らかになったように、統計的な確率や古文書等で過去に起きた地震から、地震の発生を予測するといった方法では把握できない地震が起こるということを、わたしたちは知ることになりました。この事実により、改めて、日本列島のどこで大地震が起きても不思議ではない状況が生まれました。

 つまり、今後は、太平洋側だけでなく、あらゆる場所での大地震の想定を怠るわけにいかなくなったわけです。今回の奥能登同様に、過疎と高齢化で疲弊している地方都市の地震への備えがわたしたちにとって喫緊の課題となっています。

 更に、そういった場所で起きた地震の支援、その後の生活再建、町の復興ということも、これまでのやり方とは根本的に異なった方法や手段が求められているようにも思っています。

 そういう意味で、上記に述べてきたことは、被災された市町村、またそこに暮らす方たちにとっては、厳しく残酷な言葉として受け取られるかも知れませんが、事実を前にして、それが無かったこととする、或いは見たいものだけ見て、見たくないものは見ないという方法は、誠実では無いとわたしは考えています。

 勿論、被災された方もわたしたちも、これからの暮らしは続いていきます。ただ、私も含め、従来のやり方に固執することなく、新しい状況を積極的に受け入れ、より良い未来を築くために、それぞれがアイデアを出し合い、納得して、気持ちよく暮らしていくための方法を模索して行ければ良いなと願っています。

 正直なところ、日本がこれから迎える人口減少と超高齢化社会は、今生きている人たち誰一人経験したことのない社会なのです。それ故、古いシステムや古い価値観に囚われて、新しいシステムや新しい価値観を拒絶することだけは避けたいものです。

 今回の大地震が、そういう日本社会が長い間隠して来た不都合な真実を暴き出し、そこから脱出していく中で、未来に向けて力強い一歩を踏み出すきっかけになれば良いなと真剣に思っています。(了)


「問われている絵画(152)-絵画への接近72-」 薗部 雄作
「地球人アイデンティティーの構築に向けて」 深瀬 久敬
【編集あとがき】
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編集発行:人間地球社会倶楽部

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