浅田さんの論文=地方経済の衰退は、本当に深刻なものがあると感じます。若者は成人したら都会に出て就職するのが当然という風潮が続いていますし、地元の将来を見据えた産業育成もどこまで本気で取り組まれているのかはっきりしない感じです。
かつての徳川幕藩体制のもとでは地方分権が進み、各藩がその土地の自慢の産物を積極的に開発したような意欲も昨今は感じられないのではないでしょうか。その地の国会議員は、中央省庁からの補助金をいかにたくさん獲得するかとか、新幹線や高速道路といったインフラ整備計画の呼び込みなど、中央頼みの甘え体質が定着しきっているようにも感じます。その地の選挙民がそれしか期待していないというのも問題だとは思いますが、中央省庁も、そうした差配を通して、中央権力を維持したいという思惑もありそうです。
憲法では、民主主義を標榜しながらも、実質は中央集権の権威主義体制のもとにあると言ってよいように思います。
森林資源や観光資源や無形資産の開発にむけた先行投資など、長期ヴィジョンにたった施策がほとんど見られないというのも不安です。
市民全員に英語習得を支援し、海外からの大量の移民を受け入れるくらいの大胆な対応をするところはないのでしょうか。高齢者しか残っていないという状況にまで追い込まれてしまうと、これもきびしいとは思います。
わたしの本論にも書きましたが、基本は、日本は民主主義を標榜しながらも、民主主義の国になれていないことに根本的問題があるように感じます。
薗部さんの論文=人間は、視覚のほかに、嗅覚、触覚、味覚、聴覚などの感覚機能をもちますが、視覚がもっともたくさんの情報量を扱っているのだと思います。そして、視覚は、大量の生データを効率的に処理して必要な情報を抽出するために脳内で様々な加工機能を駆使しているようです。そして、昨年のノーベル賞の対象となった量子ドットやアト秒パルス光は、がん細胞や電子の動きの可視化などを可能するようです。こうした当初の顕微鏡に始まるような科学技術の進歩は、見るという行為ひとつとっても私たちの世界観を揺るがすような変革をもたらす可能性があると思います。大量に採集された情報を人工知能が処理して、わずかな異変を検出したりといった視覚を飛躍的に進化させる技術の到来も身近になってきつつあるように思います。これからの社会のあり方に大きな変革をもたらす可能性が高い科学技術の到来を喜ぶべきなのか、警戒すべきなのか、きびしい選別の時代に入りつつあるのではないでしょうか。
(以上 記 深瀬)
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