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第161号

2024年2月14日

「地球人アイデンティティーの構築に向けて」

深瀬 久敬

 

1.存在論と権威主義による伝統的社会統治

1.日本社会の抱えている課題

 今日のわたしたち日本社会の置かれている状況を概観するとき、次のような課題があると思います。

 1つ目に、人口減少の傾向が強いことです。その背景には、若い世代が将来に安心感がもてず、結婚しこどもを生み育てることに自信がもてないこと、そして、地方経済が疲弊し希望する職業に就くことや親から引き継いだ生活基盤を有効に活用することが困難になっていること、などがあると思います。要するに、若い人たちが日本社会の将来設計を担っている政治に信頼感をもてていないということです。

 2つ目に、日本の社会における一人当たりの生産性が低いという評価があります。長時間労働に比して賃金は低く、なにか主体性のないウェル・ビーイングの欠落した指示待ち的な仕事に従事している人が多いということだと思います。産業のあり方も旧態依然の傾向が強く、DXのような新技術の採用についても既得権益の抵抗などによって遅々として進展していないという印象です。

 3つ目に、日本の財政が返済不能の巨額な借金を背負い、そして、毎年、高齢化に伴う社会保障費の負担増を他人ごとのように機械的に借金に積み重ねていくという現実があります。いつどのような形で国家財政破綻を迎えるのかという不安感を拭い去れません。

 若い世代が、自分たちの将来に希望をもてず、その変革への意欲ももてないという状況が長期間続いているのは、歴史的にみても由々しき事態だと思います。

 

2.権威主義国家への郷愁

 このような状況について、その原因は、戦後の日本社会の骨抜きを目論んだ米国の占領政策のなせるわざだという米国陰謀説を主張する人たちがいます。

 すなわち、今現在の日本国憲法は、それ以前の大日本帝国憲法とは異なり、民主主義を標榜し、個人の人権や尊厳に価値を置き、日本社会の伝統として培われてきた人間同志の強い絆を断ち切ってしまったとする考え方です。確かに、バブル経済崩壊の前あたりまでは、戦前からのこうした権威主義的な社会風潮が残存し、みんなでがんばろう的な労使関係が存続し、また、中央省庁の優秀性は世界的な評価を得ることができていました。

 こうした風潮の復活を唱える人たちは、いまの日本国憲法は個人の人権を尊重しすぎ、またLGBTのような多様性に迎合するあまり、社会の連帯を破壊し、日本の伝統的な美意識を損なっていると主張します。その結果として、今の日本国憲法の改訂の必要性を訴えています。

 具体的によく耳にするのは、「ほんとうの日本人ならそんなことは言わない筈だ」と日本人という枠組みを自分に都合よく限定しようとしたり、自虐史観は日本の若者の自尊心を棄損しているなどがあります。また最近では、安倍政権はお友達内閣を是とし、仲間うちの利権の拡大を日本社会のよさであるかのように喧伝し、権力を濫用し、忖度を歓迎してきたことが印象に残ります。

 また、別の視点から今現在の日本の政治家の特徴として言えることは、(1)二世、三世議員が多く占め、政治が家業化している傾向があること、(2)特定の地域や業界や組織の利権を代表する政治家が、なんでも中央省庁頼みでそこからなんらかの分け前に与るべく奔走していること、(3)タレントやメディアなどでの著名人が単に著名であるという理由で選挙で選ばれ、大衆的人気を博するような政治成果を追求する傾向があること、などではないでしょうか。

 

3.権威主義社会への拒絶感

 では、日本の社会は、かつてのような権威主義的様相が強い戦前のような社会に回帰することを望んでいるのかというと、決してそうではないと思います。戦争はもうこりごりという表面的感情もあるでしょうし、今現在の中国やロシアのように、反政府的な言動によって即座に拘留されたり、社会の至るところに監視カメラやネット上での個人情報の傍受による言論統制の仕組みが張り巡らされた監視社会になることには強い警戒感をもっています。

 ちなみに、中国やロシアの社会では、こうした監視体制によって社会の安定性が増大し、治安や人々のマナーがよくなったと歓迎され、これこそが人々の安寧を隅々にまで実現する民主主義の理想の姿であると主張する声もあるようです。こうした見方には、儒教によって古代中国の理想社会とされた尭、舜、周のような国家像になぞらえ、中華帝国の復興を目指しているかのようにも見えます。

 

4.日本社会における人間尊重

 では、日本の社会の今後のあり方は、どうあるのがよいのでしょうか。

 日本社会では、民主主義を歓迎すべき社会体制であるとする見方は今現在かなり浸透していると思います。しかし、その根本的価値観である個人の尊厳の相互尊重という基本的価値観がいまだに充分定着していないことが最大の課題だと思います。日本の社会は長く権威主義体制のもとで、人間同志の尊重や敬意は上下関係のもとでのみ存在しました。人間関係はタテ社会構造を機軸とし、その階層構造のなかで強い同調圧力が働き、個より集団全体の安定したあり方を優先するという理念が支配してきました。具体的には、タテ社会の一員として、自分の持ち場での役割を、自己犠牲を払ってでも完遂することが美徳とみなされ、自らの判断で臨機応変に主体的に行動するよりも、割り当てられた役割を決められた通りに全うすることに比重がおかれてきました。そのことは、教育のあり方にも反映され、上からの指示通りに全員が一斉に対応する集団指向の訓練が中核として教え込まされてきました。文科省の基本スタンスもこうしたレベルでは一歩も出ていない印象です。

 要するに、一人ひとりの人間として、同じ同列のもの同志で、互いの基本的人権を尊重しあい、互いの意見の相違を言葉による議論を通して練り上げていくという民主主義の基本理念を実行する精神的基盤が培われてこなかったというのが、日本社会の最大の課題ではないでしょうか。

 

5.民主主義における個の尊厳のルーツとは

 さて、では一人ひとりの人間としての尊厳を尊重するという民主主義の基本理念のルーツはどこにあるのでしょうか。わたしの理解では、一人ひとりが唯一絶対の神との契約を通して、互いに愛し合いながら、個としてはみこころにかなう生き方を指向し、死後、最後の審判を通して天国に迎えられることをよしとするキリスト教の理念なのではないかと思います。近代の民主主義の発祥の地が、キリスト教、とりわけ信仰義認論といった個人の内面の独立性を重視したプロテスタント系の国に多いことからも頷けると思います。

 

6.個の尊厳の相互尊重の理念の考察

 こうした理解からすると、自然崇拝の神道とか執着心からの離脱を説いた仏教などの理念を根底に置いてきた日本の社会には、個人の尊厳を対等の立場から相互に尊重するといった理念を持ち込もうとすること自体に高い壁が立ちはだかっているように思われます。

 ここで立ち止まって考えると、今の日本の状況には冒頭に述べたような憲法としては民主主義を標榜しながらもその基本理念を受け入れきれていないという社会の根本的な矛盾を指摘できます。さらに、今現在、人類は次のようなかつてない深刻な課題に直面しています。(1)地球沸騰などの環境問題の深刻化、(2)地球規模での権威主義と民主主義、そして、宗教や人種や民族の違いによる戦争の頻発と核戦争への危惧、(3)生成AIや新素粒子の発見に向けた宇宙物理や遺伝子探求など生命科学の急速の進化に対する向き合い方、などです。こうしたかつてない地球規模の課題に直面し、その対応如何によっては人類滅亡の危機さえ指摘されるようになってきています。

 

7.地球人としてのアイデンティティー構築に向けて

 上記のような認識を踏まえて、わたしは、日本社会は、一人ひとりが地球人としてのアイデンティティーの確立を目指すべきではないかと思います。

 では地球人としてのアイデンティティーとはなにかについて、以下、述べてみます。

 第一に、それは、地球帝国のような地球全体が特定の権威主義によって統治されることを指向するものではなく、一人ひとりが対等の立場で、一人の地球人として主体的に相互の人権を尊重しあうなかでその役割を担っていく透明性の高い民主主義に基づく社会です。すなわち、それは宗教的理念とは独立した宇宙船地球号に乗り合わせた乗員同志の対等な関係に基づいて統治されます。さらに付言すれば、それは地球上のすべての生物との関係も含みます。

 第二に、産業の経営を担う人々には、地球社会全体に対してなにを提供し、なにを資するかについての取り組みを語ってもらう場を設けます。そこでは、単なる利益の最大化、市場の独占と支配力強化、競争力強化といった次元とは異なる理念を説明してもらいます。すなわち、すべてのステークホルダーがその運営理念を理解し、経営に関しての責任の一端を担うということになります。

 第三に、一人ひとりの社会との関わり方は、基本的にジョブ型であり、集団にお任せのメンバーシップ型は排斥されるべきでしょう。それは個人の尊厳を放棄するものであり、民主主義の根幹を揺るがすものになるからです。

 第四に、国語力を重視し、自分の考えを分かりやすく伝え、また、相手の主張をきちんと把握し、その相違の背景や折り合う手法をともに検討しあえる能力をすべての人たちが身につけられるような社会基盤を整備するべきでしょう。日本の社会においては、日本語とともに、第二外国語としての英語の習得は基本要件にしてよいと思います。海外からの移住者を歓迎する基盤になります。海外からの移住者に日本語の習得を押しつけるのは本末転倒でしょう。

 第五に、民族、国籍、宗教などのアイデンティティーをもつことは認められるべきです。しかし、他と比較し自らの優位性を主張したり、周囲に不快を抱かせるような外面的行為は、ルールとして合意された範囲に止めるべきでしょう。多様性に基づく数々の相違にどう向き合うかは、一定のルールに基づくべきですし、その適用に困難がある場合には、別途、調整する機関が身近にあるべきだと思います。

 第六に、こうした地球人としてのアイデンティティーの成熟に向けては、地球規模の草の根的なアソシエイト的活動からスタートし、地球全体に根付かせていってはどうでしょうか。

 

8.まとめ

 地球人としてのアイデンティティー構築に向けての速やかな取り組みが進展することを願います。そして、日本の社会は、その魁としての取り組みを通して、諸外国から敬意を払われるようになることを期待したいと思います。


「負けること勝つこと(117)」 浅田 和幸
「問われている絵画(152)-絵画への接近72-」 薗部 雄作
【編集あとがき】
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編集発行:人間地球社会倶楽部

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