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1960 60号 油彩
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けっきょく、生活のパターンがいつものように同じなので、自分の作品を制作する時間も、ほぼ同じになるので、秋の個展も三年後とすることになった。しかし、それよりも…つまり時間の問題よりも、何を描くのか…ということの方がさらに問題であった。
しかし、そもそも、私にとって、描くということは、何を描くか、ということよりも、描く…制作することによって、自分を探し出す、という方が目的に近かった。
意識的に制作するようになって以来、自分独自の…オリジナルな作品をつくりたい、という思いが、さらに強まったのであった。しかし、そのオリジナル作品とは、いったいどこにあるのか。外の世界ではないであろう、ということはわかる。外の世界には、すでに無数の作品がひしめいているが、しかし、そこに、自分の作品はない。あるとすれば、それは、やはり自分の内側であろう。そこで自分の内側を探る。しかし、そこに確かな何かがあるわけではない。いっけん、むなしい作業にも思えるが、けれども、そこ以外に探す場所も、また方法もない。だから、無理にでもそこを探す…制作するのであった。
その頃のメモには、制作…探すことのむなしさが、えんえんと書かれている。たとえば「強制的に制作すること…それ以外に生活はないものと思いこむこと」あるいは「どこえ行っても住む家は、この肉体の中にしかない」「現実は、時間は存在は、ここにしかない」というようなことが書かれている。むりやりにでも、という思いで画面にむかったのであった。

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ヴァリエーション2 1958 50号 油彩 |
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